好きになれそうにないペルー

Peru国境La Balza~San Ignacio
8/30 (467days)

8/30
セレモニーを横切ったことでペルー国境審査官からお怒りを受けたものの、無事120日の滞在日数をもらい入国完了。
エクアドル最終盤の未舗装路・アホかという斜度とは打って変わり、舗装路に緩やかな斜度の道が迎え入れてくれる。
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時間は正午。
この日目指す町はSan Ignacio。ペルー国境からまだ47キロも残している。

朝食以降は何も口にしていないのだが、手持ちのドルはもうZumbaで使い切ってしまっており両替もできず、さらに国境にはATMはなく、国境審査官いわくSan Ignacioまで行かないと無いとのこと。

しばらく緩やかな斜度を進むと、路肩に川を見下ろせるスペースを見つけたため、ここでガソリンストーブを引っ張り出してインスタントラーメンを作る。

そういえば、大きい川を間近に見るのは久しぶりではないだろうか。
エクアドルでは常に山中にいたため、見る機会がほとんどなかった。
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昼食を取り、休憩もそこそこに出発する。
日陰が道路上にはほとんどなく、日差しが容赦なく体に降り注ぎ、体感温度をグングンと上昇させていく。

滝の様に噴き出す汗に、若干の頭痛。恐らく熱中症の初期症状だろう。
走行終了後に体調不良となることを心配しつつ、坂を上っていく。

幸いジュースはまだまだたくさん持っている。
そこから僅かでも塩分が採れる限り、しばらくは症状の悪化を抑え込めるだろう。
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国境を越え、最初のペルーの町が10キロ程走った所にあるNambaleという町になるのだが、ここに辿り着くまでに辟易としてしまった。

というのも、コロンビアとエクアドルでは一切見なかったモト・タクシー(バイクの後ろに荷車を付けたもの)が現れ、その数が尋常ではない。
それが前から後ろからひっきりなしにくるのだが、そいつらが意味も理由も無くクラクションをひたすらに鳴らしまくる。

激励なのか、どけということなのか、理由は分からないが限度というものがある。とにかくやたらめったらうるさい。

そしてもう一つ辟易とすること。
クラクションだけならまだしも、時折モト・タクシー上から「グリンゴ!(よそ者)」という言葉が投げかけられる。
この言葉は決していい言葉ではないと思う。
チーノやチンチャンチョン(いずれも中国人を指す言葉)に近いニュアンスで外国人を指す言葉だ。

コロンビアとエクアドルでは一切「グリンゴ」という言葉を聞くことはなかった。
恐らくこの二か国は教育がしっかりしていたのだろう。

そして最初の町、Nambaleにおいても、住民の子どもはおろか、大人からも通り過ぎざま「グリンゴ!」と言われる始末。

これではまるで中米に戻ったようだ。
いや、中米でも「グリンゴ」とよく言われたが、あの時は子ども達からだけだった。
ペルーでは大人まで「グリンゴ」と言ってくる。

「気にしなければいいじゃない」と言う人もいるかもしれないが、初めて会う人に「よぉ、よそ者!」と言ってくるアホと笑顔で挨拶をして、友達になれますか?
私はなれない。むしろ嫌悪すら覚える。

「グリンゴ」と言ってくる奴は子どもであっても無視を決め込む。無反応。
「ホベン(若者)」や「オラ(こんにちは)」と言ってくれる人には、こちらも笑顔で挨拶できるし、気持ちが良い。

こういう理由で、私はペルーがあまり好きにはなれそうにない。
この文化に慣れ、許せる時がくるのかもしれないが、少なくとも今はまだ無理だ。
たった10キロで、そう感じてしまった。
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Nambale以降も緩やかにではあるが、確実に標高は上がっていく。
途中、また北上組のサイクリストに出会った。この日2組目だ。
デンマーク出身のカップルで、南米最南端のウシュアイアからアラスカへと向かうという。
ここで彼等の残りのペルー通貨・ソルと私の米ドルを両替してもらった。
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彼等に出会って両替をしてもらったことは、私にとっては幸運だった。
国境越え直後あれだけ余っていたジュースは、殺人的日差しによる暑さと長い終わりのない上り坂によって、あっという間に底を尽きてしまっていた。

15時半頃に到着した集落で、新たなジュースとアイスを購入し、少し休憩を取る。
大統領選挙の広告として、「ケイコ・フジモリ」の壁画が描かれている。
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休憩後も標高は上がり続ける。
国境での標高600メートルから、標高1500メートルまで上ってきた。
舗装路とはいえ、下りがほとんどない上り坂に加えて暑さが体力を奪う。

そもそもエクアドルの未舗装路走行の時点でかなり体力は消耗しており、そこから更に1000メートル近い標高を獲得しつつ47キロを進むというのは少し無茶だったか・・・。
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諦めて野宿場所を探そうかと思ったが、道路から隠れられるポイントが見つからない。
途中集落はいくつかあるのだが、流石にまだペルーの状況も掴めていない初日に、集落の人に頼んで野宿させてもらうのは怖さがある。

そこかしこでコーヒー豆が干されており、その回りで人々が作業をしている風景を見るに、平和そうではあるのだが・・・。
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日も傾き、日差しの色が黄金色に変わり少し焦り始めた所、標高1550メートルを境に道が下り始めた。
そしてそこから下る事30分程で、ようやくSan Ignacioに到着。
時間は18時過ぎ。久しぶりに日没ぎりぎりまでの走行だった。
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安宿に投宿し、近くに会った中華料理屋に入る。
出てきたのはチャーハンとワンタンスープ。

ペルーに入ると米がモチっとして日本に近くなるとは聞いていたが、確かにそうで、美味しい。
それよりも、ワンタンスープにレンゲが付いてきたことに驚いた。

グリンゴ&モト・タクシーのクラクション地獄に慣れるのには時間が掛かりそうだが、食に関しては期待ができそうだぞ、ペルー。
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(走行ルート:Peru国境Balza→San Ignacio)

コメント

  1. 毎日新聞のこの記事よると
    http://mainichi.jp/articles/20160611/ddm/007/030/015000c
    「 名前の頭文字を並べた「PPK(ぺーぺーカー)」、または白人の外国人男性を指す造語「グリンゴ」の呼び名で通る。米国人妻ナンシーさんとの間に1子、前妻との間に3子。趣味はピアノとフルート。」
    とあるので、もしかしてペルーではそれほど深い意味はないのかもしれない。
    他にソースがないので、全くもって私の想像だが、本来の意味から若干変化した一種の流行り言葉?

  2. 気になるのでもうちょっと調べてみた
    http://blog.goo.ne.jp/asaikuniomi_graffiti/e/ee9a42f9703f270fff472723fa0e41bb
    『だから一部の恩恵を受けた地域に行けば、TBSのカメラが捉えた様に「チーノ、チーノ」の大合唱になる。』
    少なくともペルーでは蔑視的な意味で使ってないと思う。逆説的に言うと、他の中南米諸国とはニュアンスが全然違うからこそ、気軽に使うのかもしれない。

  3. 中華はどこにもあって、そこそこ美味しい?
    日本人や外国人が珍しいのかな?
    小さい頃、喫茶店に外人が居るで、と友達が言うので、見に行って出て来た人が父だったので驚いた👀‼思い出しました😆

  4. 私がグアテマラで聴いた「グリンゴ」の由来は、アメリカ軍がメキシコに来た際、グリーン(緑色)の軍服を着ていた。メキシコ人は彼等を嫌悪し、「Green Go!(緑色は帰れ!)」と口々に言い、それが今現在のGringo(グリンゴ=よそ者)の由来となった・・・と聞きました。
    確かにペルーでは子どもだけでなく、大人もはっきり面と向かって「グリンゴ」と言うので、中米でのニュアンスとは違うのかもしれません。
    しかし、やはり私はこの文化は余り好きではありません。自転車で通り過ぎる私を見て、彼等が完全に思考停止して「グリンゴ!」と言っているだけにしか思えません。
    「お前らはその言葉しか知らないのか?」と言ってやりたくなります。
    ただ、ペルーに入国して4日目。ペルー人は非常に人懐っこいです。おしゃべりが好きです。
    彼等はただ、異邦人と話をしたいだけなのかもしれません。
    > 気になるのでもうちょっと調べてみた
    > http://blog.goo.ne.jp/asaikuniomi_graffiti/e/ee9a42f9703f270fff472723fa0e41bb
    > 『だから一部の恩恵を受けた地域に行けば、TBSのカメラが捉えた様に「チーノ、チーノ」の大合唱になる。』
    > 少なくともペルーでは蔑視的な意味で使ってないと思う。逆説的に言うと、他の中南米諸国とはニュアンスが全然違うからこそ、気軽に使うのかもしれない。

  5. 中華料理の凄いところは、どこで食べても大外れせず、かつ高くないことにあります。
    間違いなく外国人は珍しく思っているはずで、ペルー人は人懐っこいです。

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