平地の中の無気力走行~Popayanまで

Tuluá~Popayán
7/17~7/19 (423~425days)
7/17
ベッドにやたらアリが出るな、と思っていたらフロントバックに入れていた黒糖にアリがたかっていた。
「そういえば日本で南米由来のヒアリが最近問題になってたよな」と思いつつ、全てのアリを処理して出発する。
当初予定では県都であるCaliに寄って休息を、と思っていた。
しかしTuluáで思わぬ連泊があり、Caliに寄るメリットがなくなったため回避し、Popayánへと真っすぐ南下するルートを取ることにした。
Cali自体特に観光地でもなく、調べてみると少し前まで「世界で危険な都市ランキング」の上位に食い込んでくるような場所だったようで、無理して寄るような場所でもない。
Medellinから下ってきて初日はこの平地の風景が楽しくもあったのだが、ここまで延々とサトウキビ畑だけを続けられると2日目からは早くも飽き飽きしていた。
Tuluáに連泊したことで多少やる気は戻ったか?と期待したのだが、この景色の変わらない平地走行にストレスを感じず楽しめる程には回復していない様だ。
それでも時々はっとするような景色があったりして、唯一それだけが心の清涼剤となっていた。
途中小さな商店があり、昼食もやっているようなので立ち寄ってみた。
4000ペソ(約130円)くらいの格安でチキンが食べることができ、お土産に袋レモネードを3袋も持たせてくれた。
しばらく走っていると、前方に歩いている人が。
後ろから見ると小さなリュックサックを背負い、その上に銀マットを乗せている。
明らかに地元住民ではなく、徒歩旅行者だろうと思い、声を掛けてみた。
彼は私と同じくウシュアイアを徒歩で目指すそうだ。
私で恐らくウシュアイアまで7か月程といったところ。徒歩の彼は、何年掛けて辿り着くのだろうか・・・。
以前もリヤカーマンの吉田さんにお会いした時の記事で書いたが、徒歩で旅行をする人間と言うのは体もそうだが強靭な精神力を持っていないとまずできない。
更にこの彼に至っては、小さなリュックサックに最低限の荷物しか持たずに旅行をしているわけで、無駄を全て省いた尖りに尖った旅行スタイルを取っている。
自転車も相当遅いスピードの旅行スタイルだが、徒歩旅行者が見る景色、それらから吸収する感覚とは、どういうものなのだろうか。
徒歩旅行者の彼とは挨拶程度で別れ、そこから25キロ程走ったCandelariaに到着。
この時点で14時半頃だが、早めに切り上げて投宿することにした。
というのも、このCandelariaの次の町が20キロ程先のPuerto Tejadaという町になるのだが、かなり危ない町だということを、一部の自転車旅行者のブログから情報を得ていた。
曰く、町の入り口検問の警察に「この町は危険だぞ」と脅されたうえでホテルまで警察の護衛付きで誘導されたという。
先ほど出会った徒歩旅行者の彼も「この先のPuerto Tejadaという町が危ないという話は知ってるか?」と私に言ってきた。
ちなみにこのCandelariaでホテルのオーナー含め、何人かに「Puerto Tejadaは危険なのか?」と聞いてみたが、彼等から帰ってくる回答はほとんどが「別に危険じゃないよ」というものだった。
「心配する必要ないよ。ちょっと危険かもしれないけど」というものもあったが、隣町の人からは明確に危険だとする情報は出てこなかった。
7/18
20キロ先に危険「かもしれない」町があるということもあり、朝から少し緊張の中での平地走行。
いざ走ってみると、Puerto Tejadaの手前20キロは回りは変わらずサトウキビ畑しかないのどかな風景が広がり、スラムの様なやばそうな町や軍隊・警察の検問もない。
いざ町の入り口に迫った時も、ハイウェイは入り口でカーブして町中に入る事なく回避することができるし、少し走った所でPuerto Tejadaから延びる道路と合流し、その時に町の様子が少し見えたのだが、そこだけ切り取れば別に危なそうな町には見えなかった。
よくよく考えれば「危険だ」という情報はあっても「なぜ危険なのか」という理由に関する情報はないため、実情がどうなのかは分からないまま通過したのだが、危ない目に合わないことが一番なので、とにかく何も起こらなかったことにはホッとした。
Santander de Quilichaoに到着したのは12時頃。
走行距離にして50キロに過ぎないのだが、紙地図ではこの町が平地走行の最終点であり、この町以降は再び山間部へと突入していく。
この日上り坂を走るつもりはさらさらなかったため、翌日に備えてさっさと投宿した。
町も人通りは多いのだが見どころはなく、適当にぶらついた後はホテルでのんびり過ごした。
7/19
早朝、部屋のカーテンを開けると前日はただの何てことない通りだったホテルの目の前が、一面テントの屋根でびっしり埋め尽くされている。
前日の夜までは何もなかったのに、それが日もまだ上り切らない6時の時点でこの状態とは、まるで一夜城のごとし。
ホテルの入り口前にもテントが張られており脱出するのに一苦労だったのだが、テント露店の気のいい親父さん達に「ハポネス(日本人)か?」話しかけられ、数分談笑した後見送ってもらう中での気分のいい出発となった。
そういえば中米ではことあるごとに「チーノ(中国人)か?」と尋ねられていたが、コロンビアでは「ハポネス(日本人か?」と尋ねられることが多い気がする。
もちろん「チーノか?」と言われるよりかは「ハポネスか?」と言われる方が多少気分はいいのだが、見ず知らずの人間に対して決め打ちで「〇〇人か?」と尋ねる文化というのは、中南米を走る中でまず初めに受けたカルチャーショックだろう。
例えば日本に来たコロンビア人に対して「お前はペルー人か?」と誰かが尋ねたとしたら、コロンビア人はどう感じるのだろう?
私個人の感覚で言えば、あまりいい気分はしないのだが・・・。
中米を抜けて南米に入り、もうこの文化には慣れっこなので最近ではそこまで気にすることも無くなりはしたのだが。
Santander de Quilichaoの町を出ると早々に上り坂が始まる。
30キロ程走った所に露店カフェがあり、ショーケースの中には何種類かの揚げ物やチョリソーが並べられている。
少し小腹が減っていたためコーヒーとチョリソーを頼んだ。
私はコーヒーはブラック党なのだが、このカフェが甘く、一口目で面食らってしまった。
が、ブラックコーヒーに砂糖を入れ込んで味の主張がてんでバラバラなお粗末なものではなく、コーヒーと甘味が絶妙に一体化していてとても美味しかった。
もしかしたら砂糖ではなくサトウキビを使っているのかもしれない。
ショーウィンドウの揚げ物をお昼ご飯に3つ買って包んでもらい、先へと向かう。
カフェで隣席だった親父さんに「Popayánより南からは気を付けろよ」という助言を受けての走り出し。
少し走った所で出会った歩いている地元住民にも同じことを言われた。
確かに外務省の海外渡航情報を見ても、コロンビア南部というのはあまり情勢がよくない。
事実、この日の道は所々で銃を持った軍人が検問を布いており、乗用車のドライバーが身体検査を受けているのを何度か目撃した。
とはいえ、それ以外はここいら一帯はコーヒー農園の広がるのどかなもので、今のところ危険は見当たらない。
道はいくつものアップダウンをいくつも繰り返し、標高は気付けば1800メートルにもなっている。
昼食時に疲れたところで大きな樹の下に入り昼休憩。
カフェで買った揚げ物にかぶり付く。
中身も料理名も聞かずに聞いたのだが、中身に米と鶏肉を入れ込んだライスコロッケの様なもので、これが美味しい。
コロンビアもそこまで食事の選択肢がある方ではないのだが、それでも中米諸国よりも選択肢も種類も多くて嬉しい。
その後もいくつものアップダウンを乗り越え、天気が崩れるぎりぎりの中でPopayánに到着。
流石に車通りが多く、ストレスを溜めながらも下調べしていたホステルを目指す。
大都市に入る前には事前準備として宿泊する宿の場所を下調べするのだが、私はスマートフォンを持っていないため、事前準備の段階でGoogle Mapのストリートビューを駆使して道順を完全に暗記し、当日はその記憶を頼りに進むスタイルを取っている。
よっぽど複雑ならデジカメで写真を撮っておくのだが、少しでも迷えば一瞬で瓦解してしまう脆い作戦である。
Popayánはそこまで複雑な道でもないため、特に苦労することなく宿に辿り着くことができた。
投宿したのは16時過ぎ。
街を本格的に歩くのは明日に回すことにして、この日はスーパーマーケットに行くために中央広場付近を軽く歩くぐらいだったのだが、どの建物も真っ白に塗られている。
誇張表現抜きで中心街は純白の世界となっている。
この白い街並みが気に入ったことと、最近の「走りたくない」という無気力状態をどうにかするには一旦自転車から離れるしかないと思い立ち、数日間このPopayánに滞在することとした。
こういう時はとことん普段しないことをして日常生活にどっぷり戻るべきだと思い、日本での一人暮らしでも作ったことがない生姜焼きを作り、普段炊かない米を炊いて十分に満腹にしてPopayánでの初夜を過ごした。
(走行ルート:Tuluá→Candelaria→Santander de Quilichao→Popayán)
道端に牛居てたり、ありえんな😃
毎日経験していることが分かりやすく書いてくれてて、面白い❗
子供を産んで育てた世界のお母さんは親切やね。