中米横断ラストスパート・パナマ運河を越えろ

David~Panama City
Canal Panama(パナマ運河)
6/12~6/16 (388~392days)
6/12
Hostelのママに朝食にサワークリーム、お土産にピーナッツを持たせてもらい、出発。
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道は緩やかなアップダウンの連続で、道路は流石は国道1号線、広い舗装された路肩があり、両側2車線の立派な道路。
そもそもコスタリカ国境からパナマの首都・Panama Cityまで通っているまともな道路が、国道1号線しかないのだが・・・。
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道中には集落も商店も全くと言っていいほどなく、Davidを発つ前にコーラを買っておけばよかった・・・と後悔を覚えた程。
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Davidから48キロ走る頃にようやく一つ目の集落が現れ、ここで昼休憩を取ることとした。
Pollo Frito(フライドチキン)を頼んだのだが、いつ作られたのか分からない程に油が抜けきり、パサパサとしていて不味い。
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それに反して、キンキンに冷やされた水の何と美味しい事!
中米において水が無料で提供されることなどありえない話なのだが、準先進国であるコスタリカとパナマでは水道水をそのまま飲むことできる。
大きなボトルに氷をたっぷりに入れて冷やされた水がセルフサービスで無料設置されており、ご飯そっちのけでボトルを何度も往復して喉を潤した。
その後もアップダウンをえっちらおっちら進んでいると、前方からくる空気が冷たさを帯び、顔や腕を吹き抜けていった。

もう何度もスコールに降られている我々も阿呆ではない。
この空気は、確実にスコールの前兆だ。

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近場にあった空き家と思しき家の軒下に逃げ込むとほぼ同時に、スコールの雨音が辺りを一瞬で包み込んだ。
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このスコールは20分と経たずに止み、我々は再度出発したのだが、5キロも走らない内に再度スコールが。
再度近場にあったスーパーマーケットの軒下に逃げ込んだのだが、スコールは激しさを増すばかりで全く止む気配がない。
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2時間程粘ってみたが、勢いは多少弱まったものの以前スコールは降り続け、鞄の奥底にしまい込んだレインウェアを引っ張り出して先を進むことにした。
次の町まで距離は30キロ近く。着いたとしても、とうに日没を迎えて宵の帳が降りた頃だろう。
そして、少しでも急がなければならないこの状況で節目の日を迎えるのが、実に私らしい。
この日は私がアラスカから走り出して2万キロに到達するであろう節目の日であり、雨宿りをした時点で10キロを切っていたため、達成することはほぼ確実であった。
5キロを切った頃からは、スピードメーターから目を逸らせなくなった。
4キロ、3キロ、2、1・・・

そして、周りには牧草地以外なにもない、雨に包まれた中でメーターは2万キロを指した。
ファンファーレがなるわけでもなく、誰かから祝福されるわけでもないが、やはり区切りというのは嬉しいものがある。
しばらくスピードメーターの「20,000」を眺めて余韻に浸るのだが、表示が「20,001」になった瞬間にどうでもよくなり、一切メーターに目を振る事がなくなったのも、私らしかった。
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着実に辺りが暗くなり始め、流石に私も焦りが見えたころに、前を走る濱さんが急に止まった。
何だろうと右を見やると、消防署が!

決して宿泊所扱いをしてはいけないのだが、中米における消防署は自転車旅行者に対して非常に寛容で、頼めばテントを張らせてもらえることが多い。

この日、夜までに宿があるような町に辿り着くのは、もう不可能に近かった。
藁にも縋る気持ちで署員にお願いしてみると、裏庭にテントを張らせてもらえることになった。
地獄に仏とは正にこのことで、雨が激しく叩く屋根の下でテントを張り、一夜を過ごした。

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6/13
消防署は我々に食堂とトイレの使用を許可してくれたため、朝食の調理には全く困ることがなく、非常に有難かった。
食後に大の方の用を足したところ、水が流れない。先ほどまで使えていた食堂の蛇口も開かず、他の蛇口も全て使えない。
どうやら断水したようだ。便器の中には、先ほどまで私の腹の中にいた分身が、威風堂々とした姿で居座っている。

お世話になった消防署にミソをぶっかけて去る事になるのは、絶対に避けなければならない。
雨水の汲み置きがないかきょろきょろと辺りを見渡してみたが、そういったものは置いていない。

これは恥を忍んで署員に謝るしかない・・・と詰所に向かい窓を覗いたのだが、どうやら夜勤の男性と入れ替わったのか、今朝は女性署員が腰かけている。

「これはマズいぞ・・・」

男性に伝えるならまだしも、女性にこのような下世話な失敗を伝えるということは通常の2倍のダメージを伴う。
この時私の脳ミソのコンピューターは、「何事もなかったかのようにテントへ引き返し、黙って消防署を去るべきだ」という計画を一瞬の内にはじき出していた。

が、まずいことに女性社員は既に私の姿を認めているのであり、「こいつ何か用があるな」という顔でこちらを見ているし、何よりもお世話になった消防署に「黙って」ミソをぶっかけて去るのは良くない。実に良くない。

この脳ミソから提出された計画書は一瞬の内に破り捨て、「あの・・・水が無くてトイレが流れません・・・」と私は女性職員に正直に伝えた。

女性職員は呆れたような苦笑いを浮かべ、「いいよ、いい」という風なことを言ってくれた。はずである。

秘密ごとや失敗を誰か打ち明ける際、その時期を逸して後伸ばしにしてしまうのは、実に人情に溢れた思考であり人間臭さい行動である。
大抵後伸ばしにした結果、事態は悪化こそすれ良化することはない。私はそれを熟知している。

だからこそ、恥を忍んで女性署員にすぐに謝った。結果、「いいよ、いい」という言葉をもらった。
恥こそかいたものの、これで「裏庭にテントを張って泊まり、黙ってミソを残していった日本人自転車旅行者」の存在を抹消することができた。
用を足した後に発せられるラベンダーの香りのする芳香剤の匂いを嗅いだ時のように、私の心は実に晴れやかなものとなった。

意気揚々とテントの場所に戻り、撤収準備をしながら濱さんにその話をして「いやぁ、危なかったっす」なんて話をしていると、詰所から男性署員がこちらに向かってくるのが見えた。
そして開口一番、「おい、トイレ流してないの誰だ!?流してくれよ!」と。
私のミソは女性署員によって全署員に速やかに通達が行われ、その存在は皆が知る物ではないのか!?
戸惑いと共に、「断水で流れないんだけど・・・」と言うと、「俺が今断水直したから、もう流れるよ。流してくれよ」と言う。

トイレに戻ると、私の分身はまだ便座の中に鎮座していた。どこに出しても恥ずかしくない、堂々たる姿をしている。

レバーを下に引くと、激しい水流によってあっという間に穴に吸い込まれていった。
「ミソを残していった日本人自転車旅行者」の存在は抹消することができたが、更に倍、通常の4倍恥をかいた気がする中で消防署を後にした。

道はアップダウンの連続で、山の中を縫うようにして進んで行く。傾斜は緩やかなのだが途切れることがなく、かつ一つ一つが長い。
ゆっくりではあるが、体力は確実に削られていく。
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走り始めること数時間で上空には青空が広がり、この日もいつもと変わらずに暑い。
パナマの空は少し青色が濃いように、私には思われた。
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昼食休憩の後は長い下り坂があり、このまま一気に下り切るか?と思いきや、再び道はアップダウンの連続に。
更には目的地であるSantiagoの街まで残り僅かのところでスコールに見舞われた。

「今朝の私のミソ事件が無ければ、済んでのところでスコールに見舞われずにSantiagoに着いていたのではないか?」と思わないでもなかったが、濱さんには黙っておいた。

結局スコールは30分程で上がったのだが、道に残った雨水を撥ねて自転車も体も濡れるわ、野良犬に追いかけられるわ、泣きっ面にハチとは正にこのことというままに、Santiagoに到着したのであった。
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6/14
この日は万事つつがなく、天気は良好、道も終始フラット。

やはりパナマの青空は青く、かつ雲も立体的で迫力があるように思われる。

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パナマには中華系レストランが多く存在しており、そこでは私の好物である焼きそばが食べられる点も、パナマを走行する上で好感度が高い。
いい加減にPllo y Arroz y Frijores(鶏と米とインゲン豆の煮た物)に代表される中米料理には飽き飽きしていたのだ。
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昼食後は風力発電機が建ち並ぶ爽やかな風景を横目に走り、Antonの町に16時到着。
この町は小規模で、それでいて閑静な高級住宅街なのか平和な空気が流れている。
ホテルもかなりクオリティの高い部屋で11.25USドルで泊まることができた。
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6/15
快晴の朝、Antonを発つ。
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パナマに入ってみて感じたことだが、入国前のイメージと違って非常に先進的で整った街並みをしていると感じる。
この日も通り過ぎる街は軒並み日本の地方都市のように整然と整っており、その郊外には大型ショッピングセンターが高確率で存在している。

しかしどの街もそこまで人口が多いようには見えないため、果たしてショッピングセンターは採算が採れているのだろうか、と思わざるを得ない。
そして、センターから出た直ぐ脇に露店で果物や野菜を売る屋台があったりして、そのギャップに思わずニヤッとした笑みがこぼれる。
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Antonからはひたすらにアップダウンが続く。
パナマの山は深い森林調ではなく草原然としていて、私好みである。
自分の好みに景色がうまい具合にマッチすると、たとえアップダウンが続いたとしても苦にならない。
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200メートル程の峠を越える際、ふと後ろを見やると太平洋が眼前に広がっている。
坂道の途中のため、少し足を止めて眺めた後は再びふぅふぅと緩やかな傾斜をゆっくりと登っていく。
海は再び見えなくなり、牧草と山に囲まれた中を進んで行く。
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この峠を登り切り、下った先から急激に交通量が増えてきた。
両側2車線の道ではあるのだが、渋滞が発生する程に交通量は多い。
すると、我々が走る路肩に割り込んで走り、渋滞の先頭まで行こうとする不届きなタクシーや車が出始めた。

さらにチキンバス(アメリカのスクールバスをそのままローカルバスに転用したようなもの)もパナマでは初めて目にしたのだが、これが現れるということは所得水準が低い土地ということになる。(※運賃が非常に安いため)
所得水準が低いという事は、治安もあまりよろしくないことを意味する。
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「なんか嫌な雰囲気だな」と思いながら走り、程なくしてLa Chorreraという町に到着した。
この街にはまともなホテルが少なく、連れ込み宿のような如何わしいホテルが多い。
街の雰囲気もあまり良くなく、シケモク(誰かが捨てたタバコ)を拾って吸っている親父がいたりする。
この日の朝まで感じていた「パナマの街は整っていて先進的である。」というイメージに陰りが出てきた。

投宿したホテルも1つしかベッドがない部屋に通され、14USドルも払ったうえに私はじゃんけんに負けたため、濱さんにベッドを譲り、床にマットを敷いて寝るという憂き目に会わされた。
これ以降も濱さんには事あるごとにじゃんけんで負け続けており、辛酸をなめ続けている。
濱さんが私の心理を完璧に読んでいるのか、何かインチキをしているのか・・・。
私としては後者であると思っているので、いつか暴いてやりたい。

投宿した後に中華レストランへ行き、好物である焼きそばとラーメンを食べ、ご機嫌で会計を済ませようとしたところ、外で怒号が響いた。
「なんだなんだ!?」と先に会計を済ませた濱さんが外に飛び出す。
私は会計中のため、外に行けない。やきもきしていると、店の外にいた地元民がジェスチャーで「強盗だ」とこちらに伝えてきた。

「やっぱりヤバい街じゃないか・・・」
そう思っていると、私と会計のやり取りをしていた中華レストランの女性店員が「水曜にこのレストランも強盗にあったのよ!」なんて言ってきた。
吉本新喜劇よろしく、ずこーっとこけそうになってしまった。

会計を済ませて外に出ると、隣のスーパーマーケットの軒下で男性一人が蹲って顔を抑えて泣き言を言っている。
外傷はないがどうやらここで殴られたようで、何かを盗まれたのか警察にしきりに何か言葉を投げている。
その周りにはかなりの数の野次馬が取り囲んでいた。
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何か変なことに巻き込まれた溜まった物ではないので、スーパーを離れてさっさとホテルに戻ることにした。
この日をもって、「パナマは先進的である」という良いイメージは瓦解し、「ちょっとヤバい国」というイメージに塗り替えられる結果となった。
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La Chorreraから首都Panama Cityまではもう目と鼻の先、わずか40キロ程度。

Panama Cityに辿り着くにはパナマ運河に掛かる橋を渡る必要があるのだが、橋は2つある。
一つは南側にある橋で、すぐに中心街に着くことができるメインのもの。過去の自転車旅行者もこちらを通っている人が大半だが、路肩が無い上に交通量が凄まじく、非常に危険だと多くのブログで語られている。

二つめは北側にある橋で、こちらは中心街までは10キロ程遠回りになるが、Google Mapのストリートビュー上では大きく広そうな橋に見える。

多少遠回りにはなるが、路肩が狭い中ストレスを感じながらパナマ運河を拝むよりかはしっかりと見たいと意見が一致し、我々は二つ目の橋を渡ることにした。

Chorreraから走ること20キロ程、道路に分岐があり我々は北側に進路を取った。
そこから10キロ程だろうか、大きな橋が見えた。
「これがパナマ運河に掛かる橋だ!」
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橋には確かに路肩があり、安全に走ることができる。
そして右手には大きな幅の川が流れており、大型タンカーが荷物を満載にして南側から北上してくるのが見て取れた。
(※教科書にあるような、コンクリートの岸をタンカーが擦れ擦れに通過しているのは、この写真でいう左奥側に当たります。この船はそこを通過してきたと思われます。ちなみにそこを見るには入場料が必要なため行きませんでした。)

私としてはパナマに対する知識はこの運河だけであり、最大の見どころでもあった。
また、パナマ運河が見えたということは、中米横断がほぼ完遂されたことを意味するため、見た瞬間はやはり感慨深いものがあった。
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橋を渡った後は南に折れ、運河に沿ってPanama Cityの中心を目指す。
右手にはタンカーにコンテナを運ぶための鉄道が通っており、左手には範囲に関しては劣るだろうが密集度合いは東京を凌駕しているのではないか、という程の高層ビルの森。
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私にとって、自転車でいずれかの国の首都に乗り入れることはPanama Cityが初めてのことである。
(※メキシコでは友人に郊外から車で拾ってもらったため)
理由としては、大都市はすなわち迷路であり、紙地図しか持たない私にとっては入るも地獄、出るも地獄のため今まで避けてきたためだ。

今回は濱さんと一緒に走っているため、スマートフォンの地図アプリを確認してもらい、私は着いてことができるため迷子になる心配はなかった。

しかしやはり交通量は多く、かつ先ほどまでの高層ビル群とは打って変わってズタボロの外壁、トタン屋根でできたスラム街が現れ始めた。
その格差は非常に激しく、漂う不穏な空気に緊張感を感じざるを得なかった。
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ピリピリとした緊張感を自らの身に纏いながら走ること30分程、急に街並みが小奇麗になり、肌を多く露出した観光客が歩く通りに出た。

Panama Cityには新市街地と旧市街地がある。
新市街地は高層ビルが立ち並ぶ地区、旧市街地は周りはスラムの様になっているが、中心部は世界遺産にされているCasco Viejo(歴史地区)がある。
Casco Viejoは世界的な観光地のため綺麗に整備されており、我々はそこに辿り着くことができたのだ。

先ほどまでの息が詰まるような不穏な空気はなく、ほっと一安心してHostelに投宿することができた。
Panama Cityに到着したことで中米横断はこれにて完結。
私と濱さんは次なる大陸、南米大陸へと上陸すべく、パナマ発コロンビア着のカリブ海クルーズを予約し、出発までの4日間、大いに羽を休めたのであった。
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(走行ルート:David→Silimin→Santiago→Anton→Panama City)

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