マヌエル・アントニオ国立公園~パナマ入国

Parque nacional Manuel Antoino(マヌエル・アントニオ国立公園)
6/6~6/10 (382~386days)
6/6
Condorと奥さんのJecica、息子のPabuloに見送られてQuebrada Ganadoを発つ私と濱さん。
目指すところは15キロ先の町、Jaco。
このJacoにはある目的があり、我々はルートを組んでいた。
その女性はコロンビアから中米に掛けて自転車旅行された後にAntiguaへ移動してこられたとのことで、「コスタリカのJacoに、寿司とかつ丼を食べさせてくれるレストランがありますよ」と教えて下さった。
ホームステイ先の家に帰った後にそのことを濱さんに話し、「それならぜひ行こう」とのことで、我々はルート計画を立てていたのだ。
そして、その涎の量は確かにJacoに近づく毎に量を増していたのだった。
しかしその苦労もかつ丼のためなら何のその、交通量の多い道も黙って黙々と歩を進めるのみ。
しかしその汚れもかつ丼のためなら何のその。
むしろ多少の苦労は程よいスパイスとなり、この後に食すかつ丼が、更に至高の、究極の旨味を持ってして我々を迎え入れることとなろう。
我々の事前調査、準備に何の抜かりもない。
当然、この時点ではシャッターが下りている。
ふふふ、シャッターを下ろして閉店を装い我々をビビらせようとしても全くの無駄である。
我々は既に開店時間をグアテマラの時点で把握している。
我々の事前調査に、何の抜かりもない。
多少の嫌な予感を持ちつつ、恐る恐る張り紙をのぞき込んだ。
声も同時に出したと思うのだが、「あぁぁ~っ!?」だったか「えぇぇ~っ!?」のどちらだったかは定かではない。「おぉ~ん」だったかもしれない。
とにかく、相当の脱力感が押し寄せてきた。
これは言い換えれば、普段自分本位で行動している分、「外的要因に計画を左右されることに対するストレス耐性が極端に低い」ということになる。
この時の私の思考として、「かつ丼を食べることができなくて残念」というよりも、「今日は絶対にかつ丼を食べなければならないという計画が、定休日という外的要因に潰された」ということが頭の中を巡っていた。
道の両脇にココナッツの樹が大量に生えているのだが、等間隔に並んでいる。
恐らく植樹されたものなのだろう。
この日はこのQueposの宿にさっさと投宿し、我々はローカルバスに乗り込んだ。
ここではナマケモノをはじめ、多くの動物達を観察することができるのである。
いわばコスタリカ観光の目玉、ハイライトともいえる公園なのであり、我々もここへ訪れることにした。
入ってすぐに目に着くのは電線の存在。
なぜ自然国立公園に電線を設置するのか?ニカラグアのLeonでも感じたが、私には文化遺産や自然文化財に対する中米人の補修、保存の仕方が理解できない。
ナマケモノが見れなかったのは残念だが、多くの動物たちを観察することができた。
流石に70キロ近く自転車を走らせての散策であったため、帰りのバスは深い眠りに落ちていた。

















6/8
この日は朝から終始曇り。
日差しはないため照り付けるような暑さはないが、湿度が高く日本の梅雨の時期のようなじとっとした嫌な汗のかき方。
道は昼休憩まではひたすらに一本道の何もない状態が続き、休憩後はアップダウンの繰り返し。
特に何の見どころもなく、この日の終了予定の町まで2キロとなったところでスコールに見舞われた。
自転車旅行者にとって、すぐそこがゴールと分かっていて濡れネズミとなること程、やるせない気持ちになることはない。
が、このホテルが史上最低の宿であった。
朝7時になり、濱さんが隣のベッドからむくっと体を起こしたのが横目に見えた。
私はというと、深夜2時ごろから朝7時まで一睡もすることができずにいた。
この部屋の窓には締め切ってもわずかに隙間があり、そこから侵入した無数のアリが窓際にあった私のベッドにまで集り、私の体を夜通し噛み続けていた。
その原因がアリであったことも明るくなった朝まで気付かず、夜の間ただただ耐え忍ぶしかなかった。
嘘のような本当の話で、極度に眠い時は自転車を漕いでようが、自転車の上で眠りに落ちそうになる。
必死で意識が落ちないようにすることのみに集中していた。
食べ終わりの後にだらだらとしていた頃にスコールが降り出した。


この日はパナマ国境沿いの町まで行く予定であり、残り30キロ。
時間にはまだまだ余裕があり、少し待てば上がるだろうと高を括り、私は椅子に腰かけたまま眠りに落ちた。
更に1時間待ってみたが全く収まらず、濱さんと相談の結果、このままRio Claroの宿に投宿することとなった。
全くもって、我々は中米のスコールと相性が良くないようだ。
結局この日、夜通しこのスコールは降り続いていた。
昨日の土砂降りのスコールが嘘の様にこの日は晴天で、しかしそれでいてカラッとしていて不思議と暑くない。
やはり自転車旅行とは、青空の下で行われるべきであり、スコールなぞは全くもって迷惑な存在なのである。
コスタリカ出国に際して、出国スタンプの取得と出国税の支払い場所が違うという、多少分かりづらい手続きを済ませたこと以外は、出国処理に大きな問題は無く終わった。
(※出国管理局から道路を挟んで向かい側にある建物にて、出国税8USドルを先に支払う必要がある。)
パナマの入国管理局のチェックは非常に厳しく、「パナマから第三国へ出国するための飛行機のチケットを所持していること」、「500USドルを現金で所持、もしくは銀行口座に同額の残高があることを証明すること」を求められることを、かつてパナマに入国した日本人自転車旅行者のブログなりで事前情報として把握していた。
500USドルに関しては、事前にATMなりで現金として引き落としておけばよい。
自転車でたかが一国を通過するだけで、なぜそんな面倒くさい手続きを、パナマ入国管理局が手配するならまだしも、私自身がせねばならんのか。理解に苦しむ。
一旅行者ができうる予想としては、「金を持たない貧乏者が、パナマに不法に長期滞留・居住しないよう」にするための対策といったところだろうか。
確かに私は貧乏旅行者だが、まだ見もしていないパナマに住まおうなどとは、この時点では微塵とも思わない。
そもそもパナマに関して知っている知識など、二つしか持ち合わせていない。
一つは社会の教科書で見たパナマ運河。
二つは日本野球機構傘下のチーム・福岡ソフトバンクホークスにかつて所属し、同リーグの日本ハムファイターズの当時のエース・金村暁投手が投じた死球に激高し、マウンド上で彼をボコボコにシバき上げたパナマの怪人・ズレータの出身国である、というくらいだ。
その二つからは、不法な手段を使ってでも長期滞留してやる、という意欲は全く起きない。
特に何の対策も施すことなく、我々はパナマ入国管理局に突入することとした。
順番を待つ列に加わった。
「自転車で旅行しているのか?」が審査官の第一声だった。
「そうだ。」と、私。
「どれくらい滞在予定で、どこへ行く?」と、審査官。
「多分一週間くらい滞在して、パナマシティに着いた後はボートでコロンビアへ行くよ。」と、私。
「そうか、Buen Viaje!(良い旅を)」と、審査官。
あっさりと入国スタンプをもらうことができてしまった。
やはり何の滞りもなく入国することができればその国の印象は良くなるもので、私の「パナマに不法な手段を用いても長期滞留してやるゲージ」が1ポイント溜まる結果となった。
ここでも例のゲージが1ポイント溜まるかと思われたが、実態は路肩はあるものの未舗装に近いガタガタの物で、とても走れたものではない。
結局車道を走らざるを得ないものであり、ここでゲージは1ポイント後退、再びゼロに戻ることとなった。
宿を探す前に、通り掛かった所に一軒の自転車屋を見つけたため、入ってみた。
余談になるが、コスタリカの自転車屋の品揃えは中々に良い。
パーツのグレードもXT、Deore等、上級グレードが揃っている。
パナマのこの自転車屋も中々に品揃えは良いのだが、不思議なことにコスタリカにもパナマにも「26インチ×1.75」という規格のチューブが一切置いていない。あるのはもう少し太いタイプの「26×1.9」の規格くらいのものだった。
彼の人懐っこさに例のゲージが1ポイント溜まるかと思われたが、普段この郊外にある自転車屋に客がくることなどあまりないのだろう、彼の口は中々閉じられず、我々には難しいスペイン語という音を発し続けている。
30、いや40分程経っただろうか、「ごめん、急いで宿を見つけないと」と話を遮り、自転車屋を後にした。
こちらが話を切らなければ彼は更に1時間、いや2時間は余裕で話しつづけていたと思われる。
このことからゲージは溜まらず、以前ゼロの目盛りに針を刺したままとなった。
こちらはカナダ人の女性が息子さんと経営されているHostelで、清潔感がありかつドミトリーなのに私と濱さん以外に他の客がほとんどいないため、非常に静かだ。
Hostelの居心地の良さと合わせて、「パナマに不法な手段を用いても長期滞留してやるゲージ」が一気に満タン近くまで溜まったのであり、我々はここで2泊することとなった。