コスタリカの険しい山道と心優しい人々

6/2~6/6 (378~382days)
この日の朝のLago de Arenal(アレナル湖)は、どこを切り取っても写実主義の画家が描いた風景画の様に美しい。
朝ご飯を頂き、岩崎さんとホテルの方々にお礼を言い、出発する。
ここからはアレナル湖の北側の湖畔を走り、首都San Joseは回避しつつ太平洋沿岸のメイン道路へと戻るルートを取ることにし、走り始める。
おまけに道路の一部は先日のスコールの影響からか、がけ崩れに見舞われている。


しかも、あれだけの晴天であったはずが、いつの間にか灰色の、暗い色をした雲が上空からアレナル湖に蓋をしている。
湖の上空にはやはり常に青空が広がっていなければならないという私の考えがあり、これには非常にがっかりした。
また、本来なら湖の対岸にVolcan Arenal(アレナル火山)が見えるはずなのだが、この日の悪天候でそれも叶わず、拍車を掛けてがっくりきた。
更にさらに、済んでの所で堪えてきた灰色の雲が遂に耐え切れなくなり、雨を降らせ始めてしまった。
私は自然の風景の中で、湖と山の組み合わせが最も好きであり、それを見たいがために予定のルートを外れてこのアレナル湖を見に来た。
それがこの悪天候で楽しみをぶち壊されたようで、落ち込むと同時に歯ぎしりをする思いで灰色の湖沿いを走り続けた。
右手にアレナル湖、左手に頂上に雲が掛かったアレナル火山を望みながら自転車を走らせる。
非常に素晴らしい景色ではあるのだが、やはり期待値が高すぎたのか、満足することはできなかった。
ルートも構図も素晴らしく、晴天であれば文句の付けどころがない風景であるため、後続の自転車旅行者の方でここを通る人がいれば、断然乾季に走られることをお勧めしたい。
何の変哲もない道路ではあるのだが、我々はここで自転車を止め、脇道に寄せた。
この道路の脇にこそ、我々のもう一つのメインの目的がある。

道路の脇から眼下を見ると、小川が流れており、水着を着てその小川に入っている人が何人かいる。
しかし、皆「泳ぐ」というよりも「浸かっている」という表現がしっくりくる通り、静かに川の中でしゃがみこんでいる。
そう、ここTabacon Hot Springsは天然の温泉なのである。
しかも、「タダ」で入ることができる。
しかしこの小川ではタダで、全く同じ成分で温泉を楽しむことができるのだ。
「当然ながら地元民は小川の方で入る」というのはコスタリカ人から聞いていた前情報であり、ホテル側も全く咎める様子がないため、我々も喜々として彼等に混ざって温泉に入らせてもらった。
流れがあるため気を許すと少し流されてしまうというのは慣れない感覚ではあるが、この旅行に出て以来、ホットタブすら入っていなかった私には約1年振りの入浴ということになる。
その気持ちよさと言ったら、湖と火山が綺麗に見れなかったこの日前半の溜飲が下がる心地よさであった。
7時頃に起床して空を見上げると、灰色の雲が妖しく上空に広がっている。
「中米はお昼頃になれば雨は降るもんだ」というのはもう既に我々の共通認識で、「雨降りそうっすね」「そうだね」という、ほとんど形骸化した会話を交わした後、いつも通り出発した。
しかしこの日はその思惑が外れ、10キロも走らない午前中の内に激しく振り出してしまった。
こうなってしまっては全く身動きが取れなくなってしまうため、堪らずそばにあったバス停に逃げ込んだ。
隣にいる濱さんは小説を読みだし、私はポロンポロンとウクレレを鳴らして暇を潰していた。
結局1時間半ほど待った後、雨が弱くなった間隙をついてバス停を脱出。
数キロ進んだ先にレストランを見つけ、昼飯を食うことにした。

小さな露店のレストランの割にやけに人が集まっているな、と思っていたら、どうやらこの日は欧州チャンピオンズリーグの決勝戦、レアルマドリードvsユベントスのビッグマッチであり、皆テレビにくぎ付けになっている。
ちょうど我々が入店した際にキックオフの直前であり、食い始めた頃にちょうど前半戦がキックオフとなった。
食い終わってからも、「ここから動かない」という無言のプレッシャーを濱さんに掛け、他の客と一緒に「うおぉーっ!」という声を上げてしっかりと前半戦終了まで観戦してしまった。
1-1という息詰まる熱戦で前半戦は終了。
「さあ後半戦も見るぞ」と内心思っていたのだが、「そろそろ行こうか」という濱さんの言葉で渋々腰を上げた。
地元民にサッカーの結果を聞いたところ、4-1でレアルマドリードが勝利していた。
6/4
この日の走行はとにかく厳しいものであった。
前日の雨で湿度は高く、少し走るだけで汗で全身びしょびしょになる。
それに加え斜度のきつい坂道の連続で、標高は240メートル付近から1200メートルまで登る。
筋力のあまりない私は、こうしたきつい登り坂が続くとまず腰が痛くなってしまう。


昼食を食べると少しは体力と気力が快復するのだが、それも束の間ですぐに腰が痛くなる。
苦痛から眉間に皺を寄せて、いつ終わるか知れない登り坂を、思い通りに進まない自転車と共に進むしかない。
この日の登り坂は、グアテマラに匹敵するきつさであった。

そこに、「あなた達どこから来たの?」と声を掛けてくれた淑女がいた。
彼女・RoxiiはここSan Ramonに住んでいるそうで、旅行の話をした後、宿泊場所を探していることを打ち明けると、「私の家に来なさい」と言ってくれた。
特に一人息子のIsaacは英語を話すことができるため、話が弾んだ。
かつ彼は日本語を勉強中ということだったので、いつか彼が日本に旅行に来た時に役立つようなフレーズをいくつか教えてあげた。
特に、San Ramonの伝統的飲料であるチンチビーという飲み物は非常に珍妙な飲み物だった。
生ビールのサーバーで泡を出すのと同じ要領でガスを利用してコップに注ぐのだが、泡のふわっとしたのど越しに味はかき氷のイチゴシロップの様なもので、初めて飲む飲料であった。
彼女は英語は話せずにスペイン語のみを話したが、語学学校の成果か私もわずかだがスペイン語でコミュニケーションを取ることができるようになっている。
私の旅行の話や、日本の話などを中心彼女とは話をした。
スペイン語を勉強する前はそれが叶わずに歯がゆい思いをしていたが、この日初めて「スペイン語を勉強してよかった」と、嬉しく思った。
IsaacとRoxiiに見送られ、この日はお仕事がお休みだというマウンテンバイクに跨ったお父さんに先導してもらいSan Ramonの町を離れる。

この日は太平洋沿岸のJacoという町まで行く予定であり、標高1000メートルのSan Ramonから海抜0メートルまで下るわけであるから、楽勝だと思っていた。
が、進めど進めど標高が下がることはなく、むしろ上がってないか?という程に斜度のきつい登り坂が続いた。
San Ramonの町を見下ろす所まで上り詰めたところでお父さんとはお別れ。
「Mi casa es tu casa.(私の家はあなたの家だよ)」という言葉をくれ、見送ってくれた。

Atenasという集落の分岐点で3号線を通ることにしたのだが、この道も厳しいアップダウンの連続で、「太平洋沿岸まで下り坂しかない」と皮算用していた私の心はぼっきりと折れそうであった。


昼食後はほとんど転げ落ちるような下り坂で、ようやく楽ができると思っていたのだが、ここにきてスコールが・・・。
近場にあったガソリンスタンドに逃げ込んだのだが、一向に止まず、結局2時間も足止めを喰らってしまった。
「この日はテントで野宿も止むを得ないか・・・」という考えも過ったが、ある橋を通る際に川をのぞき込むと、そこには何と大量の野生のクロコダイルが。
橋に手すりなど何もなく、強風でも吹けば誤って川に落下することもあり得そうな状態で、先ほどの野宿うんぬんの思考など一瞬で吹き飛んでしまった。
しかし、「野生のクロコダイル」なんてものを見ることも言葉にすることも、一生の内にそうそうないのではないか。
辺りはとっくに暗くなっており、途方に暮れているところに半裸の小太りの男が声を掛けて来た。
男はCondorと名乗り、「俺はプロフェッショナルのサイクリストだ。俺の家に泊まっていけ」と言ってくれた。
晩ご飯にビールまで用意してくれ、寝床となるスペースも与えてくれた。
まさか2日連続で地元の人にお世話になるとは思ってもいなかった。
しかし腕は確かで、翌朝には濱さんのタイヤトラブルを素早く修理した際に見せた鋭い眼光は、正にCondor(コンドル)の様であった。
「この家では、庭にある樹から勝手に果実が成って落ちてくる。全て自然食で健康的だ。俺はおかげで健康そのものだよ」とCondor。
半裸でワガママ体型を見た私は思わず突っ込みたくもなったが、確かに非常に美味しく、このような家で住めるのは非常に羨ましく感じた。
厳しい道程だったが、コスタリカ人の優しさに触れることができた2日間であった。