世界一美しい湖(?)を越え、エルサルバドルへ

Antigua~El Salvador国境
Lago de Atitlan(アティトラン湖)
5/4~5/16 (349~361days)
5/4~5/12
3週間のスペイン語学習を終えた後、さらに滞在を延長し、合計で1か月と2週間をAntiguaで過ごすこととなった。
自転車を携えて公園で毎日「私とスペイン語で話して下さい」の紙を持って立つ日々。
それが終わり家に戻ると、ひたすらにネットサーフィンをし、毎回の食事はホームステイ先のママ、Elviaに作ってもらうぐうたらな日常。
自転車旅行とは全くかけ離れた、まるで日本で大学生をしていた頃と変わらない生活を送っていた。
そんな生活も、日本からの到着を心待ちにしていた自転車パーツが5月11日にホームステイ先に届いたことにより、終わりを告げる。
パーツが届いた当日にAntiguaの自転車屋へと赴き、必要器具を借りてフロントインナーとリアスプロケットを交換した。
ディレイラーハンガーが内側に変形し、リアトップに入らないことを除けば万全の状態で中米、そして南米走行へと臨むことができる。
18664598_1677526549222347_498189572683824261_n


RIMG5147
RIMG5149

そして5月12日、1か月超の長期滞在となったAntiguaを離れることとなった。
ママのElviaやお世話になった方に見送られ、日本人サイクリストの濱尾さん(以下、濱さん)と共に家を後にする。

濱さんも同時期にAntiguaでスペイン語留学し、同じホームステイ先で滞在していた。
中米は治安に不安を抱えているため、コロンビアまで一緒に走ることとなった。
当初予定では、Antiguaからパナマあたりまでバスで飛ばすことを考えていた私にとっては、非常に心強いことである。

IMGP0469
Antiguaは道路が石畳のため、自転車へのダメージを考慮し、郊外までは乗らずに押して進む。
歩くこと10分ほど。石畳の道は途切れ、アスファルトの道が続く交差点へと出る。

当面我々が目指す方角は東、中米終着点の国、パナマ。
なのだが、Antiguaから北西に100キロ程進んだところにPanajachel(パナハッチェル)という都市がある。
スペイン語の先生や公園で会話したグアテマラ人にやたらと勧められた都市であり、その畔には世界で一番美しい湖、Lago de Atitlan(アティトラン湖)があるという。
(※世界一を誰が決めたか、とにかく検索を掛けたら「世界一美しい」と出たため、便宜上ここでもそう紹介しておく。)

そういうことで、この交差点を我々は東ではなく西に進むべく、改めて自転車に跨り、ペダルを踏み込んだ。

「お、重すぎる・・・」

私は、この1年近くの自転車旅行で、体力だけは人並み以上に鍛えられてきたつもりだ。
しかしいま現実に突きつけられているのは、まともに漕ぎ出すことができないという事実。
それは既に2年以上も自転車で旅行をしてきた濱さんも同じようで、前を走る濱さんに「自転車が重い!」と言おうとしたら、前から「めちゃくちゃ重い!」という声が聞こえた。
1か月超の堕落した日常生活というのは、どうやらかくも簡単に屈強な自転車旅行者を常人に戻してしまうらしい。
RIMG5150
Antiguaから北西へ向かう道は傾斜がきつく、登れど登れど終わりが見えない。
あっという間に腰、二の腕がパンパンに張り、力が入らなくなると同時に自転車をこぐこともできなくなってしまった。
坂の途中で自転車を降り、ガードレールに自転車を立てかけて路肩で寝そべって息を整える。

「こんな苦しいことを今までやってきていて、更にまたこれから続けないといけないのか・・・」

10キロ程坂道が続いた後は盆地が広がり、平和な田園風景が広がる・・・
RIMG5151
・・・と思ったのもつかの間、またもやまともに漕ぐこともできないような傾斜の坂道が現れ、めまいもあり朦朧とするなかで自転車を降りざるを得なかった。
通りがかった地元住民が見かねたのか、「何か助けられるか?」と英語で問いかけてきたが、それに答える体力も気力もなく、ただただ「いらない」とぶっきらぼうに答えることしかできなかった。

この日は結局、Antiguaからたったの35キロ離れたPatzunという村のホテルで宿泊することとなった。
標高は2000メートルを超えており、肌寒い。
疲れからくる風邪に警戒し、フリースを被って眠りに就いた。
RIMG5154

5/13
朝目が覚めると、腰が尋常ではないくらいに怠い。
痛いのではなく、怠くて力が入らない。

Patzunの町を抜けると、道は真っ逆さまに急降下し、一気に谷底まで下る。
RIMG5155
谷底まで下ると道路は川で寸断されており、自転車を押して進む。
ここ数日は天気がよかったので川に深さはなく、渡ることができた。
もし雨が降って増水していた場合には、我々は下ってきた谷を引き返し、再度Patzunまで登り直すことになっていただろう。
RIMG5157
無事に川を渡り切ったものの、そこは谷底であり、今度はまた逆の谷を登らなければならない。
ここからの峠道は非常に傾斜がきつく、私が今までに走ってきた舗装路の中では最もきつい道のりだったかもしれない。
舗装の質は悪く、ところどころ崩れて砂利がまき散らされている。
そのため、一度足をついて止まってしまうと、発進時にペダルを強く踏み切んだ際にタイヤが砂利に取られてしまい、滑ってしまう。

腰の痛みもあり、私は坂道発進ができず、峠の頂上にたどり着くまで自転車を手で押しっぱなしすることになった。
濱さんは元消防士のため基礎体力が私とは段違いのようで、この悪路にも負けずに自転車を押すことなくガシガシと登っていき、私の視界から消えるほどに先行していく。
自転車を押しながら、立っている住民に「俺の先に他の自転車見た?」と聞くと「あぁ、5分前にここを通り過ぎていったよ」と言われた時には「消防士上がりの自転車乗りは化け物か!?」と思ったほどである。
RIMG5159
そして峠を登り切ると、今度は一転して下り坂に入る。
峠越えの後の下り坂というのは、本来自転車乗りにとって至福の時間であるべきである。
しかしグアテマラの下り坂はそういうわけにもいかない。
常にブレーキを握りしめていないとバランスを崩して崖から落ちるのではないか、というほどに角度がきつく、まったく気を緩めることができない。

指が痛くなる程にブレーキを握り続け、まったく気が休まることなく下り切った先に視界が開けた場所があり、湖が見えた。Lago de Atitlan(アティトラン湖)だ。
スペイン語の先生に「Panajachel(パナハッチェル)に行き、アティトラン湖を見ないことには真にグアテマラを訪れたことにはならない」とまで言わしめた湖が、目の前にある。

是非畔に行って間近で見たいので、濱さんと共に自転車を走らせて湖畔へと出る。
・・・天候が曇りだったこともあるかもしれないが、お世辞にも私にはこれが世界一の湖とは思えなかった。
アティトラン湖は3つの火山に囲まれた湖であり、晴れた日にはその雄姿が拝めるらしいのだが、この日は残念ながらうっすらと見えるのみであった。
IMGP0473
IMGP0475
畔のレストランで昼食を取っている間、「フェリーで対岸まで自転車を載せて渡る、というのは旅情があっていいのではないか?」という合議が開かれた。
私も濱さんも乗り気で、「いいですねぇ」の意見交換のみでこの合議は可決された。
我々が現在いるPanajachelは湖の北側であり、そこからフェリーに乗り南側の町、Santiago(サンティアゴ)まで行くことにした。

飯を食い終わり、フェリー乗り場へと向かう我々一行。
乗り場に止まっていたのは、フェリーとは名ばかりの小さい乗り合いのモーターボートのみ。
私の中でフェリーといえば、荷物満載の自転車をそのまま手で押して乗り込み、広々としたスペースに安全に積み込めるものを想像していたのだが・・・。
船頭曰く、「自転車は船の屋根に載せろ」と言う。

タイミングが悪いことに、雨がぽつぽつと振り出し、次第に雷も鳴り出してスコールに発展してしまった。
我々は取り合えず近場の商店の軒下に自転車を突っ込み、雨を凌ぐことにした。

待つこと30分程。
中々ボートに乗らない我々に痺れを切らしたのか、船頭が商店に赴き「船はもう出るぞ、自転車は船首に置いてカバーを掛けてやるから濡れることはない」と言ってきた。
雨脚も弱くなっていたため、我々も「これなら大丈夫だろう」ということで船に乗り込むことにした。

いざ船に積み込もうとすると船首が狭いため、自転車に付けている荷物をすべて外さなければとても載せられるスペースはない。
しかし船頭達は「Rapido, Rapido(急げ、急げ)」と急かし、荷物満載の50kg超の自転車を無理やり担ぎ上げて載せようとする。
この時ばかりは、温厚な私も流石にブチ切れそうになったが、なんとかさっさと荷物を外し、空身になった自転車とともにボートに乗り込んだ。

ほっと一息ついたのもつかの間、ボートはなかなかのスピードで進み、横に縦に結構揺れる。
自転車がずれてギアが壊れるんじゃないか、という心配で一向に落ち着かない。
それに揺れのために次第に気分も悪くなってきた。
IMGP0476
ボートに乗ること30分ほど経っただろうか、終点だ、という場所に降ろされた。
が、そこはSantiago(サンティアゴ)ではなくSan Pedro(サンペドロ)という、Santiagoから20キロほど北西に位置する港町であった。
RIMG5162
どうやら、我々はボートに乗り込む際に焦りのあまり行先の町の名前を勘違いしていたらしい。
San PedroからSantiagoまで自転車を走らせるには、湖の入り江をぐるっと回り、さらに山を越えなければならない。
そんな体力は、濱さんはさて置き私には無い。

港にいるフェリー乗り場の受付らしき男に聞くと、「Santiago行きのフェリー、あるよ」とのこと。が、乗り場が違うらしい。
それを聞いて顔を曇らせた我々に同情してくれたのか、「船頭に電話して、この港まで迎えに来るように言ってあげるよ」と、フェリーを手配してくれた。

そして再びボートに自転車を載せる、というストレスの掛かる作業はあったものの、無事に当初の目的地であったSantiago行きのボートに乗り込むことができた我々。
天気も回復し、青空が見える中での船旅は、やはり旅情があってなかなかに爽やかなものであった。
RIMG5164
こうして無事にSantiagoに到着した我々は、町中にあるBomberos(=ボンベロス、消防署)に向かった。
私には初めての経験だったのだが、治安があまり良くない中米南米走行において、安全な消防署内にテントを張らせてもらうというのは、自転車旅行者の中では非常にポピュラーな手法である。
Santiagoの消防署も快諾してくれ、会議室を我々の寝床にあてがってくれた。

Santiagoの町自体は全く治安に不安はなく、湖畔は静かで、人々は教会でミサを開き、賛美歌を歌っていた。
RIMG5168
RI
MG5167
RIMG5166

5/14
一晩お世話になった消防署員にお礼を言い、Santiagoを発つ。
始めの内こそ登りだったものの、以降は急激な下り坂。アティトラン湖を左手に見ながら急激に下っていく。
IMGP0478
下り坂の舗装路の状態は非常に悪く、そこら中に穴がぼこぼこと開いている。
そして、道路上にはスコップを手に何人もの人間が、数100メートルおきに立っている。
みな一様に「1 Dollor!(一ドルくれ!)」と声を上げている。
恐らく「俺たちは穴だらけの道を土で埋めているから金をくれ!」ということなのだろう。
住民が勝手に公共事業を手掛けているのだから、いかにグアテマラの行政が地方をコントロールできていないかが伺いしれる。

一気に1300メートルほど標高を下げるまで下り、標高1000メートルを切ったころ、気候は非常に蒸し暑く、直射日光が激しく照り付けるようになった。
つい先日までの肌寒さが嘘のようで、昼食をとったレストランではもうバテバテの状態になっていた。
RIMG5175
昼食を食べ終えるとバテた状態も幾分かましになり、さらに先へと進む。
すると、青空だった上空に一瞬のうちに雲が立ち込め、あたりが暗くなり始めた。
「今日の目的地の町までそこまで距離はないし、大丈夫だろう」と判断した我々だったが、その判断から30分もしないうちに雨が降り始めた。

その雨はあっという間に勢いを増し、ペダルが水に浸かるほどに道路上に冠水してしまった。
その激しさは、眼鏡越しでは目の前が見えなくなるほどで、危険を感じた我々はたまらず近くにあったガソリンスタンドへと逃げ込んだ。

5月になると中米が雨季に入るということは理解していたが、スコールというものがこれほどまでに強烈なものなのか、と洗礼を受ける形となった。
RIMG5177
RIMG5178
雨脚が弱くなった1時間後、我々はガソリンスタンドを離れてペダルを進め、Escuintra(エスクィントラ)という街に着いた。
この日も消防署にお願いしてみると、こちらも快諾してくれ、室内のスペースを貸してくれた。
我々は、ずぶぬれになった衣服とテントを室内に広げ、休息をとることとなった。
RIMG5179

5/15~5/16
Escuintraを抜けた後は、小さなアップダウンが続き、そして蒸すような暑さが体にまとわりつく。
汗だくになりながら、うだるような暑さに文句を言いながら進む。

一つのアップを越え、下りに差し掛かる際、それまでの暑さから解放されるように顔の前の方から爽やかな風が吹き付けてくる。
その瞬間、自然と笑みがこみ上げてくると同時に、何とも言えない感情、青臭い青春臭いという感じだろうか、が込み上げてきた。
この感じはなんだろう、と少し考えた後、「あぁ、日本を走っている時に感じる物と似ているな」と気づいた。

日本の夏も蒸し暑く、自転車で走っていると汗だくになる。
そして下り坂に差し掛かると体に受ける風が心地よく、一時の至福の時となる。
あの瞬間とは、「あぁ自転車で走るのは楽しいな」という気持ちになるのである。

今までほとんど乾燥地域を走ってきていたため、暑くはあるがじっとりと蒸すものではなかった。
それが、中米の熱帯地域に差し掛かって気候が日本に似ていることで、自然と思い出されたのだろう。
なんだか、とても懐かしい気持ちになった。

そして5月16日、グアテマラとエルサルバドルの国境沿いの町、Hachaduraに着いた我々は出国スタンプを得て、無事に次なる国、エルサルバドルへと入国した。

陸路で国境を越える時はいつも緊張感と高揚感が半々くらいなのだが、さすがに治安面で悪名高いこの国に入国する際には、緊張感が6:4くらいで上回っていた。
この先、無事に走り抜けられるのだろうか・・・
RIMG5212
RIMG5217
(走行ルート:Antigua→Patzun→Panajachel→フェリーでSantiago Atitlan→Escuintra→Chiquimulilla→El Salvador国境)

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です