【世界遺産】古都Antiguaでスペイン語留学

Coban~Antigua
3/29~4/3 (313~318days)

Antigua(アンティグア)とは、首都Guatemala Cityから南東へ330kmに位置する古都である。
1773年に地震による影響で現在のGuatemala Cityに遷都されるまで、Antiguaが首都であった。
多数の教会遺構の存在と前世紀的な建築物が多数残っており、世界遺産に登録されている。
Antiguaはスペイン語で「古い」という意味で、まさに名は体を表すを地で行く都市である。

格安でスペイン語を学習できる都市として、バックパッカーや旅行者の間では名が通っており、グアテマラには珍しく日本にも馴染みがある都市であろう。
私も御多分に漏れずそうした大勢の中の一人であり、この旅行以前からAntiguaでスペイン語留学をする予定でいた。
今回の記事は、Antiguaを目指すためにCobanを出発するところから始まる。
(※写真は丘から見下ろしたAntiguaの街並みとVolcan de Agua(アグア火山))
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体調不良も大分快調したため、二泊したCobanからAntiguaへと出発することにした。
Cobanはグアテマラ第三の規模を誇る都市で、マクドナルドや大型ショッピングモールがあり今まで通過してきた集落や町とは一線を画している。
それでも、細い路地に入ればどこが最深部か分からない程に深く入り組んだローカルメルカド(マーケット)があり、売り手の呼び込みの声で活気づいている。
体調が万全であればもう少し見てみたい街であった。
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グアテマラはいくつもの山脈を抱えた国であり、その多くは国の中心部に集中している。
Coban以降もやはり山道が続き、山と上り坂が行く先にずっと伸びている。

いささかマシになったとは言え、体力と筋力が体調の快復に消費されたのだろうか、ペダルを漕ぐ手ごたえがあまりなく、力を込めても空振るような違和感がある。
上り坂をふうふうと息を吐きながらゆっくりと登っていく。

少しペダルを漕ぐ足を止めてふと後ろを見やると、山肌に沿って自分が今さっき登ってきた道が見える。
息を整えながら、少し前に未舗装路の壮絶な山道を走ってきたことを思い出す。
この日もかなり登ってきたようだが、ゆっくりと確実に進むことができる。
未舗装路を登ったあの時の辛さを鑑みるに、アスファルトで作られた舗装路というのは、人類史上でも五指に入る偉大な発明ではないだろうか。
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この日は80km走ったSan Jeronimoという町に、夕暮れ時辿り着いた。
いい野宿場所が見つからず、ホテルに行くも少し値段が高い。
ホテルの駐車場にテントを張らせてもらえないか?とお願いすると、快く快諾してくれ、トイレやシャワーも使っていいと申し出てくれた。
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San Jeronimoから道は分岐し、南の首都Guatemala Cityに続く主要国道と、西のRabinalという山岳地帯へと続くローカルルートに分かれる。
首都Guatemala Cityは治安上の問題と、交通の混雑が予想されるため、それを避けるために西側、Rabinalへと続く道を取りAntiguaを目指すことにした。

今までの経験上、主要国道は交通と流通の利便上の配慮からか、激しい山道であることは少ない。またその逆に、ローカル道というのはそうした配慮が一切ないため、非常に険しい道であることが多い。
この西側ローカルルートも例外でなく、激しいアップダウンを強いられる。

西側のルート上には主要国道程多くはないにしろ、一番初めに到着することになるRabinalをはじめいくつか集落が点在している。
が、それぞれの集落は山と山の間、谷の底にある。
そのため集落に近づく度、必死こいて登り切った峠を九十九折れの坂をもってして、転げ落ちるように急降下させられる。
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そしてRabinal以降、舗装路はなくなり未舗装路に変わることを、数日前に道中で出会ったカナダ人バイカーから情報を得ていた。
事実確認のため、Rabinalで複数の地元民を捕まえて「未舗装路は本当にあるのか?あるとしたら何km続くのか?」と尋ねる。
未舗装路であることは確実らしいのだが、しかし距離に関して帰ってくる答えはてんでバラバラで、「10kmくらいだよ」というものや「30kmはある」というものもある。
そもそも車で行動する人からしたら、日本人でも「車で何分」という回答はできても「何km」と答えられる人は少ないだろう。それでも、ここまで人によって差異がでるのは正に、ラテンアメリカンの持つ適当さ加減が成す技であろう。

ついでに未舗装路に関しても適当で、無い事を少し願ったがそちらは叶うはずもなく、Rabinal以降ばっちり未舗装路が始まった。
周囲に川や水源がないためだろうか、非常に枯れた土地で日陰となる樹はほぼ無い。
Semuc Champey付近よりかは路面状況は比較的マシな方なのだが、それでも自転車を降りて押すことの方が多いことに加え、休憩するための木陰、商店も全くなく、体力をどんどん削られていく。
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この日30kmは進んだだろうか、未舗装路は終わりを見せることなく、ひたすらに続いている。
羊と牛の群れを連れて歩く牛飼いの少年や、荷物を担ぐ大人たちが現れ始めたことから、地図には載らない集落がこの悪路の上にも存在しているようだ。

牛飼いの少年達は私に興味津々で、私は自転車を押しながら、彼等は牛達を引き連れながら一緒にしばらく歩いた。
彼等は私の自転車を後ろから押してくれ、砂利が転がる悪路を登るのを手伝ってくれた。
途中、チキンバスか荷台のあるバンにヒッチハイクを試みようかと考える程に疲弊していた私には、彼等の助けは非常に心強く、何よりの助けになった。
別れ際、礼を言い「写真を撮らせてくれ」と言うと、一目散に走って逃げてしまった。

後日談になるが、他の日本人自転車旅行者の方から聞いた話とインターネットでの調べによると、インディアン達の間で「写真を撮られると魂を抜き取られる」という迷信があるらしい。
確かにグアテマラでは写真を撮られる事を嫌がったり、恥ずかしがったりする人々が多いとは思っていたが、そうした昔からの教えがあるとは知らず、悪いことをしてしまったと、今になって思う。

その後も進み続け、結局この日45kmを進んだところで小さな集落に到着した。
脇道に今は使われていない畑に繋がる道があり、そこで野宿をして夜を越した。
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朝日が昇る前にテントを畳み出発準備を整え、日の出とほぼ同時に出発する。
15キロ程走っただろうか、未舗装路から舗装路に!
前回走った未舗装路区間は、途中ギブアップしてLanquinからCobanをバスで飛ばしてしまったため、この変化の感動は味わえなかったが、今回のこの瞬間は安堵と喜びがこみ上げてきた。
まぁ、この後も断続的に未舗装路は現れたのだが・・・。
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舗装路の峠を登り切った所には小さな教会があり、それを下り切った先にはGranadosという集落がある。
ここの集落の人はみなとても親切で、誰もが大きな笑顔で僕を迎えてくれた。
水屋さん(ボトルを持って行くと水を入れてくれる店)は、タダで全てのボトルを満タンにしてくれた。
お腹も減っていたため、フライドチキンを屋台で注文すると、「これは今冷めてるぞ」と言って、わざわざ新しく揚げたてを作ってくれた。
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Granados以降、大きな川を渡る橋以外は舗装路が途切れることなく、標高500メートルから1600メートルまで登らされるようなアップダウンがひたすらに続く。
休憩できるような集落やポイントが少なく、路肩にできた木陰でフルーツを食べて休憩をとる。
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いくつかの峠を越えた後、San Juan Sacatepequezという町に辿り着き、ここで一泊をした。
ここからは路肩が狭くなり、交通量、特にバスは「明らかに供給過多だろう?」という程に幾台も私の脇ギリギリを通過していく。
郊外にはグアテマラには珍しく整った農園が広がっている。
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農園を越えてしばらく走った後、大型電気量販店やファストフード店が立ち並ぶ大通りに出た。
明らかに文明レベルが上がっており、大都会に近づいている証拠だろう。
分岐点の表示は首都のGuatemala CityとAntiguaを指してる。
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Antigua方面へと直進すると、長く急激な下り坂が始まる。
気を許せば一気に時速60kmを越えてしまう坂を、ブレーキワイヤーが千切れるのではないかという程にブレーキを握りしめ、「無事で下り切ってくれ」と祈るような気持で下る。
下り切った先、ほっとしていた所に、石畳の道が私を出迎えた。Antiguaの入り口だ。
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Antiguaの道は全てこぶし大の石で構成された石畳道で、荷物を満載した自転車旅行者には非常に辛い。
石に下から突き上げられる様にガタンガタンと自転車を走らせる私は、すれ違う歩行者から見れば般若の様な顔をしていたに違いない。

地元民と思しき人からParque(=パーク、公園)の場所を聞く。
メキシコでもそうだったのだが、スペイン植民地時代に作られた古都というのは、必ず街の中心部にParqueとCathedral(=カセドラル・大聖堂)を有している。
iphone等のスマートフォンを持たず、紙の地図で旅行している私には非常に助かる構造で、まずはParqueを目指し、そこからあらかじめメモを取っていたParqueからの道順を見ながら目的地を目指すのが常なのだ。

Parqueは観光客、地元民問わず憩いの場になっているようで、多くの人が中央にある噴水を囲むようにして、木陰の下ベンチに腰掛けている。
民族衣装を纏った女性の物売りや、スペイン語学校の斡旋や土産物を売る男性の物売りが、ベンチで憩いの時間を過ごしている人々に声を掛けている。
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Parqueから北には黄色いアーチ状の時計台があり、たくさんの土産屋とレストランが軒を並べている。
どうやらこれがAntiguaのシンボルマークの様で、路上に何人かいる即興絵描き師の描いている絵を覗くと、大抵この時計台が描かれている。
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少し寄り道をしたところで、目的地である日本人宿ペンション田代を目指す。
Parqueの場所を把握できたため、そこを起点に特に迷うことなく辿り着くことができた。
私にとってはメキシコのCancun以来、約1か月振り2回目の日本人宿である。

ペンション田代では3泊したのだが、その間にCancunの日本人宿で一週間近く一緒に酒を飲んだ旅行者の方と再会したり、スペイン語学校の同期としてその後一緒に勉強も観光も共にする人と仲良くしてもらったりと、ゆっくり過ごすことができた。
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そしてAntiguaに来た一番の目的はスペイン語留学。
到着した当日には学校を数件見学し、3日目には授業とホームステイを開始するというスピーディーな展開で私のAntigua長期滞在生活が始まるのであった。
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(走行ルート:Coban~San Jeronimo~El Chol手前13km~San Juan Sacatepequez~Antigua)

コメント

  1. 素晴らしい。未知の国ですが、写真と説明に感動です。

  2. いつもありがとうございます。
    中米は危険だとよく言われますが、このAntiguaの様に安全で美しい場所もたくさんあり、ゆっくりと過ごすことができています。

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