幾千の峠を越えFlores、そしてYaxhaへ

San Ignacia~Flores~Yaxha
3/17~3/19 (301~303days)

3/17~3/18
4日間のBelize走行を終え、次なる国Guatemalaへ入国した私と台湾人カップルのChungとEnidのチャリダー一行。
そんな我々を迎え入れたのは、どこまでも続くアップダウンの連続であった。
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私自身は上り坂は好きなのだが、ここまで際限なくアップダウンが繰り返されると、疲労度は高い。
そして何よりも厳しいのが、頭上から照らされる強烈な直射日光。
その合わせ技が、我々の体力を容赦なく奪っていく。
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とはいえ、道中には大体20キロ置きに集落が存在し、人々が生活している。
そのため、水や補給に困ることはない。

グアテマラの人々は非常に人懐っこい性格らしく、特に子どもたちは我々を見つけるや否や、「Gringo!(グリンゴ)」と声を掛けてくる。
あんな所から我々を見つけるなんて、どれだけ視力がいいんだ?というくらい、遠くから聞こえることもある。
また、その「Gringo!」という彼等の声がまるで山彦かのように、100メートル先にいる子ども達の「Gringo!」を生み出すのである。
(※グリンゴとは、スペイン語スラングで「白人」の意味。決していい意味ではないと思う。)

ココナッツジュース屋台で休憩などすれば、子ども達が興味津々で寄ってくる。
笑顔でじゃれてくるのだが、写真を撮ろうとすると途端に恥ずかしがり、隠れたり顔を見えないようにしたりする。
何とも変わった国民性だ。
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Guatemala入国から走ること2日目、我々はFloresという街に到着した。
FloresはPeten Itza(ペテン・イッツァ)という湖に浮かぶ小さな島で、その小さな島には観光客を迎え入れるためのホテルとレストランが立ち並んでいる。
とはいえ、観光客が特別多いということもなく、我々は湖畔に自転車を止めて湖水浴を楽しみ、直射日光で疲弊した体を存分に労わった。
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自転車旅行者にとって、最高の休息とは寝ることでもきれいな景色を見ることでもなく、食べることである。
Guatemalaは主に鶏肉が食べられており、主食は米もしくはフリーホール(見た目は小豆のお汁粉だが、塩で味付けされたもの)となっている。

街中ではPollo Frito y Papa(フライドチキンとポテト)の屋台が乱立しており、大体Q10(Q=ケッツァール、グアテマラ通貨。1Q=約15円)で売られている。

そして、かき氷屋台が出ていることもある。
Floresで食べたかき氷は氷の上にマンゴーとバナナ、そしてハチミツを掛けてくれ、それでQ5。
熱くなった体にはたまらない冷たさと甘味だった。
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そして昼過ぎ、我々はFloresから約15キロ程西へ進んだ町、San Benitoに住むWarm Showerのホスト、Memoの家に到着した。
彼の家はハンモックがいくつもあり、ツリーハウスもありで、非常に印象深いものだった。
今までにも何人も旅行者が彼の家を訪れたのだろう、ハウスの柱にはいくつものサインが。
我々は結局合計で3泊滞在させてもらったのだが、ゆっくりとリラックスさせて頂いた。
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3/19
San Benitoに到着した翌日の朝、我々はいくつかの不要な荷物をMemoの家に置かせてもらい、Tikalを目指すべく準備をしていた。
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その最中、Memoが放った一言。

「Yaxha(ヤシャ)行かねぇの?」

我々はYaxhaなど聞いたこともなかったため、それが何なのかもわからない。
Memoに訪ねると、Tikal同様にマヤ文明の遺跡とのこと。
ジャングルに囲まれた遺跡でピラミッドもあり、何よりも側にある湖が美しいという。

距離もTilkalから東に80キロとそこまで離れていないということもあり、合議の結果我々はまずYaxhaへと向かい、それからTikalへ向かい、Flores・San Benitoへと帰る2日間短期走行計画を立てた。
(位置関係としてはFloresから北東に60キロでTikal、Floresから東に80キロでYaxha。)

そして準備完了後、我々は通常前輪と後輪に着ける4つの鞄を2つに減らし、Yaxhaへ向けて出発した。
とはいえ、TikalとYaxhaは来た道を戻らなければならないため、同じ道を再度走ることとなる。
ということは、またあの延々と続くアップダウンが繰り返されるわけだけれども、荷物が減った分、かなり楽に進むことができた。

そして東へ戻ること60キロ程、小さな脇道が北へ向けて通る分岐点に辿り着く。
ここからその小さな脇道を20キロ北上することで、Yaxhaに辿り着くことができる。
しかし、この20キロ区間は全て未舗装路。
奥に行くにつれ、路面状況は悪くなっていく。砂利道というより、岩肌丸出しの登山道か?という箇所も出てくる。
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この未舗装路を2時間ほど走っただろうか。
我々はようやくYaxha遺跡へと到着。まずは窓口でQ80を支払う。
このQ80は入場料とキャンプ場使用料も含まれており、我々は早速キャンプ場へと向かった。

キャンプ場にはいくつかの櫓があり、その上でテントを張ることができる。
そしてキャンプ場のすぐ目の前には、湖が広がっている。
風も立たず静かな佇まいの湖で、クロコダイルが生息しているため水泳禁止というのが嘘のように、平和な空間だ。
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テントを張り、キャンプの用意が整ったところで、我々はYaxhaの遺跡へと向かった。

Yaxhaは意外と広い。広さ的にUxmalと同じくらいではないだろうか。
あまり知られていない遺跡だからだろう、観光客は本当に少ない。そして遺跡の保存状態も良い。
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結構時間をかけて回っているうちに、夕暮れの時間が迫っていた。
このピラミッドの頂上に登った時、少し遠く離れた所、ジャングルから一際大きいピラミッドが見えた。
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「あそこからサンセットが見えるかも!」
「早くしないとサンセットが終わっちゃう!」

我々は急いでピラミッドを降り、一番大きいピラミッドへと向かった。
その間も私は来た道の大変さを思い出し、「知ってる?日本にはことわざがあって、行きはよいよい、帰りは怖いっていうんだけど・・・」という話をしていたのだが、Enidに「そんなくだらない話どうでもいいのよ!急ぎなさいよ!」と一喝された。
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15分くらい早足で歩いただろうか、ようやく一番大きいピラミッドの麓に辿り着き、併設されている階段を登る。
頂上に着いた時には息が切れるほど疲れていた。
頂上にはツアーで来たと思われる20名程の観光客が、既に固唾を飲んでサンセットを待ち構えていた。

私も彼等に混じり、座ってじっと太陽が湖とジャングルに沈んで行く様を眺めていた。
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陽が沈みゆく間、誰も一言も発さない。
カメラの音も全く気にならない程、目の前に広がる「一日の終わり」に見とれる。

徐々に沈みゆく太陽を見ていると、ふと日本にいる家族のことを思い出した。
「安らかに眠ってくれているだろうか?元気で過ごしてくれているだろうか?」
自然と、太陽に向かって家族のために祈っていた。
そして、何故だか分からないけれども、涙も止まらなかった。

こうも、自然の風景に心が揺さぶられたことは初めての経験だった。
太陽が沈んだ後も、橙色の余韻はしばらく湖の上を漂っていた。
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(走行ルート:San Ignacia→El Cruce→San Benito→Yaxha)

コメント

  1. ムイ・ビエン。

  2. 心が振動する文章です。感動です。素晴らしい。

  3. ありがとうございます、そう言っていただけると大変励みになります。
    現在グアテマラのアンティグアという古都でホームステイをしてスペイン語学習をしています。
    そろそろ、サボり気味のブログも更新していこうと思っております。
    今後とも、よろしくお願い致します。

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