Cancunを離れ、新たな国Belizeへ

Cancun~Chetumal
3/10~3/13(294~297days)

3/10

2週間も居座った日本人宿、Rosas7。
私にとって初めての日本人宿だったのだが、非常に楽しく、リラックスして過ごすことができた。
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世界中を回るバックパッカーの強者達は、やはり誰もが個性的で面白く、またかっこよかった。
余談だが、私は自転車旅行者なんかよりもバックパッカーの方がよっぽど凄いと思っている。
バスや飛行機のチケットを予約し、交通機関の遅延等のトラブルがあれば、現地の言葉で交渉しなければならない。
自転車旅行など、疲れればテントを張って寝ればいいだけだし、走っている時は自分だけの世界に入れるから、気楽なものなのだ。

そんな旅行のベテラン達と毎日一緒にご飯を食べ、酒を飲み、夜遅くまで話す日々。
そんな日々から離れるのが名残惜しく、「明日出発する」詐欺を私は繰り返し、結局2週間も居座ったのだった。
(※ご飯はほとんど作ってもらっていた。本当に、頭が上がりません。ありがとうございました。)
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そんな一緒に過ごした旅行者の面々も、次々と次の目的地へと発って行き、気が付けば私が投宿者の最古参となっていた。

そして意を決して、Rosas7を出発する時がきた。
投宿者の多くは既に朝早くに観光に行っており、管理人さんと数人の投宿者の皆さんに見送られて出発。
私の次の目的地はCancunから南へ400キロ程、次の国であるBelize(ベリーズ)である。
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この2週間、泳いだり意欲的に観光して歩いていたためか、長期休暇していた影響もなく、順調に走り出す。
あっという間にCancunの市街地を離れ、一本道の退屈な道をひた走る。
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130キロ程走った頃、ふとバックミラーを見ると、少し離れた後ろに2台、バイクの様なシルエット。
だが、明らかにスピードが遅く、荷物が多い。自転車旅行者だ!
立ち止まって、挨拶を交わす。

彼等は台湾出身のChung(チョン)とEnid(イニー)。
私よりもひと月早い4月にアラスカのアンカレッジを出発し、アルゼンチンのパタゴニアを目指す。
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実は彼等とは、Cancunから西に300キロ程離れたPink Lake(ピンクレイク)という所で出会っている。
私はRosas7の同宿者とレンタカーで、彼等は自転車で、という出会いだったが・・・。
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いつかどこかで会えるといいね、という話をしていたのだが、まさか初日で出会うとは。
自然、特にどちらが言うともなく、一緒に行動することとなった。

しかし、彼等のペースは尋常じゃなく速い。
スピードメーターを見ると時速25キロで走っている。私は普段16キロ程なので、相当に強者の自転車乗りの様だ。

必死で着いていきながら、普段どこで寝ているのか?と尋ねると、大体はキャンプだ、という。
私もメキシコでは結構な数、Pemexという大手のガソリンスタンドでキャンプしていた。
彼等もそうなのだろうと思い、そう告げた。
が、彼等は怪訝そうな顔をして、それはつまらない、と言った。
ガソリンスタンドは騒音があるし、自然ではない、と・・・。
彼等はあくまでも自然の中でキャンプし、道もローカル道を好んで走る、という。

先の話になるが、彼等とは結局この先2週間、メキシコを含めて3か国を共にすることになる。
彼等の上述の考え方、走り方は、私に感銘と大きく影響を与えることとなる。

この日は、135キロ程走ったところ、Tulum遺跡のブッシュの中にテントを張り、一緒にキャンプをした。
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3/11~3/12

彼等の驚異的なスピードに必死で着いて行きながら進んで行く。
道はひたすらにフラット。特に障害となる風も坂道もない。
が、同時に遮る物がないため、直射日光が常に我々に鋭い日差しを射す。
途中、頻繁に休憩を取りながら進んで行く。
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いつも思うのだが、他の自転車旅行者と行動を共にするということは、私に常に違った気づきを与えてくれる。
特に、カップルで行動している自転車旅行者というのは、彼等のやりとり等にそれぞれの民族の特色が出ているようで面白い。

今まで見た欧米系のカップルは、常にぴったりと走行ペースが乱れることなく合っていた。
ChungとEnidの場合、坂道となると結構Chungがガンガン進み、Enidが遅れることがある。
が、お互いそれを意に介することもないし、私などEnidよりも更に後塵を喫していたため、台湾の女性は強いな、と感じた。

また、なによりも彼等は勉強家であった。
頻繁に私に「あれは日本語でなんというのか?」と尋ね、そしてそれを忘れることなく、場面場面で使ってくれるのだ。
一番よく使った日本語は、「行こうぜ!(Let’s go!)」だろう。
スペイン語も独学ながら勉強しているようで、現地人ともやりとりできていた。
とにかく知的好奇心が旺盛で、勤勉家であるというのが、彼等から受けた印象だ。

3/12の夕方、我々はBacalarという小さな町に着いた。
小さく、家も綺麗とは言い難いが、落ち着いた町だ。
私はCancunのRosas7で、同宿の方に「Bacalarには湖があり、キャンプができる」と聞かされていたため、是非とも訪れたいと思っていた。

彼等も他の旅行者から聞いていた様で、Bacalarの湖の畔でキャンプすることで同意した。
80ペソを払えばキャンプも湖で水泳もできる施設があったのだが、我々はそこを避け、湖の畔にある公園にてテントを張り、キャンプをした。

湖の右側に太陽が沈み、左側から月が上がってくる。
確かに月なのだが、太陽の様に明るく湖を照らしていて、不思議な光景だった。
公園にいた他の旅行者にビールをもらい、ほろ酔いで床に就いた。
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3/13~3/14

3/13、Bacalarから南へ走ること45キロ、メキシコ最後の街、Chetumalにお昼過ぎに難なく着いた。
この日はこのChetumalのホテルで休養し、翌日に改めてベリーズへと入国することにした。
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我々はBelizeについての情報を全く知らないため、ネットで色々と調べていた。
そこで気になる情報があったのだが、メキシコを出国する際に、出国税500ペソ(約2500円)を支払う義務がある、というものだ。
これは、7年程前にメキシコを出国した自転車旅行者のブログでも支払ったという記載があり、直近で出国した自転車旅行者も支払っている。
が、ChungとEnidはそんな情報は聞いたことがないと言う。

そこで、直近で出国した外国人の自転車旅行者に問い合わせたところ、支払っていないという。
私たちの中で、「これは恐らくイミグレーションスタッフの小遣い稼ぎだろう。もし正式の物なら領収書が出るはず。出なければ徹底抗議しよう」という結論に達した。

そして翌日3/14、Chetumalで買い出しをし、15キロ程先にあるメキシコ出国管理棟に到着。
人が3,4人も入れば一杯になりそうな程小さい小屋。
そこに観光バスが横付けし、5,6人が小屋の前で並んでいる。
しかしその5,6人が中々小屋に入らない。

「何を待っているのか?」と聞くと、「500ペソを出国税として要求されている。ツアーで購入した時に既に払ったはずだから、それを説明しているんだけど理解されなくて・・・」
というようなことを言っていた。

「やはり来たか!しかし我々は屈しないぞ!」
という思いで私は息巻いていた。
そして待つこと10分、遂に我々は小屋の中へと招かれた。

小屋の中に居たのは女性と男性の2名。
我々はツーリストカードと、入国税を払った領収書とパスポートを掲示し、次に放たれるであろう「はい、じゃあ出国税500ペソね。」の言葉を、固唾を飲んで待っていた。

この日、私は友人にもらった、メキシコ赤十字のボランティアTシャツを着ていた。
いざとなったら、「私はメキシコ政府に友人がいる。君たちがどうなっても知らないぞ。」というハッタリのセリフまで用意していた。

が、意外。
管理官は黙ってうっすい出国スタンプを押し、我々のパスポートを返した。
鼻息荒く準備していたこの闘争心は、あっけなく空振りに終わった。
何はともあれ、我々は500ペソというとんでもなく高い税金を払うことなく、出国することができた。

今度はベリーズ側の入国審査である。
こちらも小さな建物で、1人の男性が窓口にいるのみである。
ツーリングカードに必要事項を記入し、管理官に手渡す。
管理官は無言で、だるそうに入国スタンプを押し、あっさりと我々はベリーズへと入国することができた。
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当初、2か月の滞在予定であったメキシコ。
それが、気が付けば4か月を超える長期滞在となっていた。
数多くの名所の存在と、素晴らしい友人たちとの出会いが、自然と走るべきルートを作った結果である。
4か月前のメキシコ入国前、危険だなんだと怯えていた頃からは考えられない程に、私はメキシコという国が好きになった。

新しい国を訪れ、現地人と触れることは、それまでの固定観念をぶち壊す大きな出来事である、ということをまざまざと感じさせられた。
これからの国も、そうであることを願い、メキシコを後にした。

(走行ルート:Cancun→Tulum→Felipe Carrillo Puerto→Bacalar→Chetumal)

~メキシコ編終了~
走行距離 5,924km (126日間)
累計走行距離   16,982km (298日間)

コメント

  1. 素晴らしい。今後も拝読させて下さい。
    77歳老人ですが、7年前頃、南米旅行、6ヵ月、ウシュワイヤまで楽しみました。
    良い思い出です。楽しみです。古藤三郎

  2. ありがとうございます。
    6か月も、しかもウシュアイアまで!
    バスを駆使されてでしょうか?失礼ながら、暑さや道路状況などの悪さを想像するに、非常にお若くお元気でいらっしゃることが伺えます。
    これから、私も古藤様が通られた場所と同じところを走る事もあるかもしれません。
    当時の状況と比べて頂きながら、是非今後とも当ブログを読んで頂けましたら幸いです。

  3. 早急の返信有難う御座います。
    私はメキシコ経由(時差修正:10日間)でペルー・リマです。そこからバスで往復です。残念はアルゼンチン・ベノスアイレスでウシュワイヤ行きの飛行機1万円程度、購入とフライトです。他はバス旅でした。
    私は気分が良い所では1ヵ月の滞在でした。ボリビヤ・ラパスの世界最高度首都です。コカの葉しゃぶりながら、胸バクバクの生活でした。2度と体験できぬ生活でした。ウシュワイヤ、世界最南端の町、日本人宿生活楽しみました。双方が最高。
    ベストはパラガイのイグワス日本人移住地です。アルゼンチンは牛肉(カルネ)が異常に安く(500円程度)大きく、お代わり自由です。毎日食べて体調不良、帰国も思考です。が、イグワスの日本人村は日本食の宝庫、100円程度安さ、人間性の回復です。最高はパラガイです。アスンシオンも楽しみました。
    自分の思い出、申し訳ありません。今後の展開を期待です。ヨロシク。

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