【世界遺産】マヤ遺跡・Chichen ItzaとCenote Ik Kil

Chichen Itza(チチェンイッツァ)
チチェン・イッツァ(スペイン語: Chichén Itzá)は1988年に世界遺産に登録されたメキシコのマヤ文明の遺跡。
(中略)
カスティーヨはマヤの最高神ククルカン(羽毛のあるヘビの姿の神。ケツァルコアトルのマヤ語名)を祀るピラミッド。
基底55.3メートル四方、高さ24メートル(頂上の神殿部分は6メートル)。
通称の「カスティーヨ」はスペイン語で城塞の意。「ククルカンのピラミッド」、「ククルカンの神殿」とも呼ばれる。
(中略)
北面の階段の最下段にククルカンの頭部の彫刻があり、春分の日・秋分の日に太陽が沈む時、ピラミッドは真西から照らされ階段の西側にククルカンの胴体(蛇が身をくねらせた姿)が現れ、ククルカンの降臨と呼ばれている。
(※Wikipedia「チチェンイッツァ」より引用。写真は私撮影.)
お世話になったOmarに見送られ、Meridaを出発した私はCancunを目指していた。
Chichen Itzaは、その道中300キロのちょうどど真ん中、高速道路の側に存在している。
Meridaから東へ走ること110キロ、Pisteという小さな集落がある。
ここPisteが、Chichen Itzaから最寄りの村となり、観光客のために小さな町にいくつものホテルが乱立している。
当初ガソリンスタンドで野宿させてもらおうと思っていたが、それが見つからない。
止む終えずホテルに入るも、一泊500ペソ。
値切ってなんとか400ペソにしてもらったが、水は錆びた金属が混ざって赤い色をしているわ、電気も暗いわで値段と質とは見合っていない。
翌朝早めに起き、荷物をまとめてフル装備で7時半にホテルを出発。
PisteからChichen Itzaは5キロ程のため、自転車でも15分程で到着する。
Chichen Itzaには8時前に到着。
駐車場はまだゲートが開放されていなかったが、自転車は脇道から中へ通してくれる。
開園前ということで、この時間帯は全く人がいない。チケット売り場で5,6人が並んでいるだけだ。
「自転車をチケット売り場の近くに置いていい?」と聞くと、従業員用の裏手のガレージ一角を貸してくれた。
そこに自転車を置き、チケット売り場で待つ5,6人の後ろに、僕も並ぶ。
入園料は243ペソ。Uxmalも同じような値段だったが、安いホテル一泊分の価値だ。
8時になり、チケットを購入していざ入園。
Chichen Itzaは観光客も行商人も多すぎて、落ち着いて観光ができないと聞いていたのだが、朝のこの時間帯は全く人がいない。
僕と同じく早朝組が数ペアが歩いているだけで、行商人に関してはリヤカーを引いて職場に向かう途中で、出店すらしていない。
少し進むと、芝生が広がる開放的な広場があり、複数の神殿が立ち並んでいる。
El Castillo(ククルカンの神殿)
冒頭で少し触れたカスティーヨが、このピラミッドである。
Chichen Itza内では最大のピラミッドで、正面の階段の縁には、最高神ククルカン(羽毛の生えた蛇)の彫刻で縁取られている。
年2回、春分の日と秋分の日の日没時に、ククルカンの背中に影が差し、まるで蛇が体をくねらせているかのように見えるらしい。この現象は、ククルカンの降臨と呼ばれている。
マヤは高度な暦と天体観測技術を持っていたと聞いたことがあるが、このピラミッドもその技術に裏付けされて緻密に設計されたのだろう。
また、ピラミッド4面の階段全ての段数を合計すれば、マヤ歴の暦1年分の日数ぴったりなるという。
驚くべきことに、このピラミッドは外枠で、中にはさらにピラミッドが内蔵されているとのこと。
この内蔵されているピラミッド内には様々な像が置かれているらしいのだが、その中の像に、目に宝石がはめ込まれた物があるという。この宝石は中国でしか採れない特別なものらしく、当時からアジア圏との国境があったのか?という古代史の大きな謎になっているらしい。
(※ツアーに参加した大学生提供情報)
Templo de los Guerreros(戦士の神殿)
周りに無数の柱を携えた特徴的な神殿。
階段を上った先には、前述のピラミッドと同様にククルカンの彫刻が置かれている。
その彫像の間には、体育座りをして、少し体を寝かせたような人間の彫刻が置かれている。
この彫像はチャックモールの像と呼ばれている。
マヤ文明全体の文化なのだろうが、Chichen Itzaでも、祭事の際に生贄が奉げられていた。
生贄は両手両足を引っ張られ、鋭利なナイフで腹を裂かれ、素早く心臓を抜き取られる。
心臓は動いたまま、このチャックモールの台座に奉げられたのだという。
(※ツアーに参加した大学生提供情報)
El juego de Pelota(球戯場)
Uxmalの記事でも少し触れたが、マヤ文明では腰で球を打ち付けて円状のゴールに入れるサッカーのような球技が行われていた。
円状のゴールは、壁の真ん中上部、両側に一つずつ付いている。(※下部3枚目写真参照)
個人的所感だが、Chichen Itzaのように円状のゴールが二つとも残っているのは珍しいよ
うに感じる。
球戯場奥にあるTemplo del Norte
Plataforma de Venus
El Tzompantli
ピラミッドのある広場から北へ少し外れた先には、セノーテ(地下水が溜まった天然の井戸)が存在している。
El Cenote Sagrdado
直径60メートル程もある、巨大なセノーテ。
当時、吉兆を占うためにこの泉に生贄(主に処女や子どもらしい)や財宝が投げ込まれていた。
ピラミッドのある広場から南へ下ると、また別の神殿群が存在する。
El Observatorio(天文台)
天体望遠鏡もない時代に、マヤ人は肉眼で太陽、月、その他の天体を観測していた。
その観測技術を図るエピソードして、現在のコンピュータで計算して出された一年の日数が365.2422日。
マヤ人が太陽暦として計算した一年が365.2420日。
ほとんど誤差がない。
Conjunto de las Monjas
Conjunto de las Monjasの裏手にあるChurch(教会)
その他の神殿①
その他②
Chichen Itzaの遺跡を回り終わったのは2時間半後、10時半だった。
この頃になると、辺りは行商人と観光客で埋め尽くされ、静寂など欠片もなかった。
Chichen Itzaはピラミッドには一切登ることができないことと、早朝以降の騒がしさから、遺跡としての神秘性には欠ける。
しかし、遺跡の保存状態はよく、朝の開園同時くらいに訪れることができれば、ピラミッドを独り占めすることも可能。
ユカタン半島に訪れるのであればアクセスも簡単なため、時間に余裕があるのであれば一見の価値はある。
Chichen Itzaを離れた後は、遺跡から数キロ離れたところにあるセノーテ(地下水の溜まる天然の井戸)を訪れた。
Cenote Ik Kil(セノーテ・イキル)
Ik Kilは丸い井戸型のセノーテで、地上から50メートルの深さにあり、階段を下りて水のある場所まで降りることができる。
地表から水まで蔦が垂れ下がっている様は、非常に幻想的である。
入場料80ペソ、ロッカー代30ペソを支払えば、一人でも水泳することが可能だ。
到着した時間が11時過ぎで、既に多くの観光客が水泳を楽しんでいた。
そのためか、水は既に濁ってしまっていたが、遺跡と自転車走行で陽にじりじりと焼かれた体には、ヒンヤリとしたセノーテの水は極楽のようだった。
こうしてCenote Ik kilで一時間程水泳を楽しんだ後、40キロ先のValladridでさっさと休養し、観光Dayを楽しんだ。
ククルカンの遺跡に実際に行って、空気を吸ってるんやなあ✨
セノーテは行って泳ぎたいわ。
キレイな水を撮ろうとしても、あれだけ人が泳いでたら、濁るなあ。
店長…飛び込んだんですか?(^^;何メートル位の高さでした?
泳ぎ得意なんですか?もしかして…(^-^)/
確か、5,6メートルの高さだと言っていました。
泳ぎは得意ではありません!ぷかぷか浮いているくらいです^^;