文化と革命の発祥地・世界遺産都市Puebla

Mexico City~Puebula
1/31~2/3 (256~259days)

1/31~2/1

Mexico CityではAlbertoのご家族の所有するアパートの空き室で、一人暮らしをさせてもらった。
最後の一日は、Sayuriのご家族の住む家で、一緒に寝食を共にさせてもらった。
夕食に味噌汁とご飯を作ってくれ、みんなで一緒に食べる。
旅行を忘れ、日本で家族と過ごしているような、凄く貴重な時間となった。
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そして出発の日。
自転車を車に載せ、Sayuriと彼の兄のTsuyoshiに高速道路の入り口まで送ってもらう。

久しぶりの自転車旅行の再開に対する不安と緊張から、車の中ではほとんど喋れなかった。

高速の入り口に着き、自転車と荷物を下し、彼等とハグと別れの挨拶を交わす。
高速道路付近のため、彼等は先に車で出発し、一人路肩に残される。

あぁ、遂に出発なんだ。

自転車に荷物を載せて準備を終えても、出発する実感が湧かない。
目の前には、びゅんびゅん通り過ぎていく車の波。
タイミングを計ってえいや!っとペダルを踏み込む。

「な、なんやこれは・・・」

上半身はふらついてバランスが心もとなく、下半身はペダルが中々踏み込めない。
自転車がとてつもなく重たく感じる。
今までも一週間以上自転車を漕がないことはあったものの、カヌーをしたり水泳をしたり多少は運動をしていた。
しかし、Mexico Cityでは一切自転車を漕がずに車や電車に乗っていた。

「たった二週間程度でここまで鈍るものなのか・・・」

ふぅふぅと息を切らしながら、Mexico Cityの車の波にもみくちゃにされながら、ある思考が頭を過る。

「なぜ、ここまで親切にしてくれるのだろう?」

多くの人が、「メキシコは危険である」と入国前に警告してきた。
アメリカ合衆国・トランプ大統領は国境沿いに壁を作ると息巻いている。

僕は、アメリカ人やカナダ人が危険だと恐れるメキシコ人のAlberto達から、とてもお返しすることが難しい程の親切を受け取った。
色んな国の人が「親切だ、正直者だ」と評価する日本人でも、ここまで尽さないだろう、という程に・・・。
彼等の言葉の中で印象に残っているフレーズがある。
「You can back to Mexico. You have to back to Mexico.」
(君はメキシコに戻ってこれる。戻ってきてね。)
come(また来てね)ではなく、back(戻ってきてね)・・・。

そんな事を考えながら走っていると、Mexico Cityの郊外に出ており、田園と山に囲まれていることに気付いた。
Mexico Cityは山に囲まれた盆地のため、どこを目指すにしても大きな峠を越えなければならない。
鈍り切った体には辛過ぎる程にどこまでも続く坂道・・・。

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ようやく標高3000メートルの峠を登り切った時には、既に夕暮れ時。
頂上付近の集落、Rio Frioのガソリンスタンドにお願いし、敷地内でテントを張らせてもらった。
集落の名前の通りとても寒い夜で、(Frio=寒い、冷たい)久しぶりのテントの中で寒さを耐え忍んだ。

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Rio Frio以降は一転替わって長い下り坂。
出発時にはダウンジャケットと手袋をしないと凍える程に寒かったのが、陽が高くなるにつれて汗ばむ程に暑くなる。
右手にポポカテペトル火山を見ながら坂道を下る。

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途中、大きな釘が刺さって後輪がパンクすること以外は順調に進み、Puebulaの入り口には12時過ぎ到着。
とにかくまずは中心部を目指す。
Puebulaの中心部はCentro Historicoとして世界遺産に登録されており、確かに進む程にコロニアルな建物に囲まれる。
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Pueblaは1532年、スペイン人の入植地として、スペイン人の宣教師によって建設された。
今まで紹介してきたZacatecasGuadalajaraMexico City同様、古い建物がそのまま残されている。
しかしPueblaにある建物は、それらの旧都市と違った個性を持っている。
外壁に特徴的な模様のタイルがはめ込まれているのだ。
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スペイン人は入植と同時に、この地に独自の焼き物文化をもたらした。
それが現在Pueblaで名物となっている、タラベラ焼きである。
そのタラベラ焼きが、上記の写真で見られるように建物の外壁にも使用されている。
非常にポップな柄で、他の古都と違ってPueblaを童話の様な街に仕立て上げている。
タイルの建物の間を走り抜け、中心部にあるZocaro(大広場)に到着。
Sayuriのお母さんに持たせてもらっていたコーン料理を食べて小休止。
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直ぐにでも観光したいが、Zocaroを発ち、中心部を離れる。
AlbertoがPuebulaに住む彼の叔母を紹介してくれていたので、彼女の家を目指した。
家に着くと、Albertoの叔母であるMariaと、彼女の家族一族が出迎えてくれた。
総勢11人の大家族だ。
この日は近くにあるCholulaという町へ連れて行ってもらい、夕食を一緒に頂いた。
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この日は一日、一人でPuebla観光。
バスでCentro Historicoへ。
中心にあるCathedral(大聖堂)が観光の拠点になる。

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中は撮影禁止のため紹介することができないが、正面に大オルガンがあり、奥の祭壇の天井には天使が飛び交う美しい絵が描かれている。
ドームの外装にも、タラベラ焼きのタイルが使用されている。
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Pueblaは宣教師によって作られた街ということもあり、そこかしこに教会がある。
2ブロックも歩けば何れかの教会にぶち当たる、という印象がある程だ。
その中でも最も有名なのが、Iglesia de Santo Domingoだろう。
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真正面の大祭壇は荘厳な空気を漂わせている。
しかし、別室にある礼拝堂こそが、この教会の名をより一層有名な物にしている。

Capilla del Rosario
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人がたくさんいて良い写真が撮れなかったので上手くお伝えできないだろうが、360度金、金、金。
祭壇から内壁から天井まで目が眩んでしまう様な豪奢な物となっている。
この礼拝堂はバロック芸術最高傑作と言われている。

市街と大聖堂の様子でも分かる様に、独特の個性を放っている都市、Puebla。
しかし更に、Pueblaは色々な文化の発祥地となっている。

ひとつは上記で紹介したタラベラ焼き。
マーケットへ行けば、たくさんの店が店頭にタラベラ焼きを並べている。
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見ているだけでも全く飽きることがない、不思議な魅力がタラベラ焼きにはある。
(※ちなみに本物のタラベラ焼きと認められているものは、裏に刻印がされているもののみ。)

そして最も力を持った工房が、Uriate Talaveraとのことで見学に行った。
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こちらはお店兼博物館も兼ねているようで、非常に親切。
撮影も快く許可してくれ、色々説明もしてくれた。
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10時から15時の間は作成している様子も見学させてくれるらしいが、僕が訪れた時には15時を
回っており、残念であった。
(40ペソで見学可。11時台なら無料と言っていた気がします。)

Puebula発祥の文化ふたつ目が図書館。
Biblioteca Palafoxiana。
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この図書館はアメリカ大陸最古の図書館で、4000冊以上の蔵書が保管されている。
驚くべきことに、展示されているほとんどが1500年から1600年代の古書。
棚に陳列されている本も背表紙がボロボロに擦り切れたものが多く、相当古いことが伺える。

1646年にある貴族が個人保有の5000冊の本を、神学校に寄贈したのがこの図書館の始まりだという。

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本を手に取ることは叶わないが、世界がまだ未知に包まれていた時代、天動説が信じられていた時代に、人々が世界をどのように見ていたかを雰囲気だけでも感じ取れる。

三つ目が料理。
Puebla発祥の代表料理として、Mole(モーレ)とChiles en Nogada(チレス・エン・ノガダ)が挙げられる。
これらの代表的な料理は、修道院で修道士達が発明したと言われている。

Mole(モーレ)
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Moleとはこの茶色のソースのことか、このソースが掛かった料理全般のことを指す。
チョコレートソースの様に見えるため甘いかと思いきや、唐辛子やその他香辛料が入っているため、決して甘くない。
非常に複雑な味で表現しにくいが、全く甘味のないビターチョコに唐辛子をかけた様な味、だろうか・・・。
以前に食べたことがあるので、Pueblaでは食べなかった。
正直、日本人には合わないのではないだろうか・・・、と思う。

Pueblaで実際食べたのがこのChiles en Nogada(チレス・エン・ノガダ)
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ポプラノと呼ばれるピーマンに似た唐辛子の一種に、ひき肉やトマトを炒めた物を入れ、揚げる。
その上に、クルミ(Nogada)の入ったホワイトソースとザクロを掛けた料理。
Pueblaに入る前、写真で見た時に「絶対に美味いに違いない。」と思い、大枚を叩いて晩ご飯に食べてみた。
味の方はこれまた複雑で、白味噌?少しお酒が入ったようなソースで、ピリッともする。
こちらも、日本人には馴染みはないかも・・・
(※ちなみにChiles en Nogadaのシーズンは夏とのこと。インフォメーションセンターでも「今は季節じゃないからやめときな、Moleにしろ」と言われていたのを振り切って食べました。ですので夏に食べればまた違うのかもしれません。)

最後四つ目が、革命。
メキシコでは1876年から1911年に掛けて、José de la Cruz Porfirio Díaz Mori(ホセ・デ・ラ・クルス・ポルフィリオ・ディアス・モリ)という政治家が大統領として、独裁体制を布いていた。
そのディアスの独裁に対する反対運動として、1910年に起こったのがメキシコ革命である。
この革命は実に10年以上、1920年に終結するまで続くことになる。

ディアスは富裕層を優先とした政策をとっていたため、貧富の差が拡大し、市民たちは不満を持っていた。
そこへ1907年に起こったアメリカ合衆国での恐慌の影響がメキシコにも表れ、そのことが市民の不満をさらに煽った。
それでもなお、ディアスは1910年の大統領選に立候補し、かつ対立候補者を圧力により逮捕して再選を果たす。
それに対して各地で市民が蜂起し、革命へと繋がる。

ここPueblaでも、武器を集め、立ち上がろうとした革命家がいた。
それがこの人、Aquiles Serdanである。
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彼自身は革命勃発前に、蜂起しようとしていることが警察に露見してしまい、自宅に立て籠もっての銃撃戦の後、死亡している。
その自宅は現在博物館として公開されている。

Museo de la Revolucion Mexicana
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外壁には今でも激しい銃撃戦の痕が残されている。
内部も展示品が並べられて整理されているものの、銃撃戦のあった部屋や銃痕はそのままにされている。
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セルダンを危険人物と認定する警察の正式書類
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銃撃戦の翌日、セルダン死亡を伝える当時の新聞
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銃撃戦があり、セルダンが死亡したのが11月18日。
数日後、その知らせを聞いた各地の革命同胞が立ち上がり、革命へと突入していく・・・

たった一日だけの観光だったが、お腹いっぱいになるくらいに食べ物も文化も歴史も詰まったPuebla。
メキシコの色々な都市を回ってきたが、一押しなので是非機会があれば、訪れてみてください。

コメント

  1. 文章に引き込まれて読みました。
    知らないことを知って嬉しくなった。興味深く面白かったよ。

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