Guadalajara~Perula 12/13~12/18 (207~212days)

メキシコではDouglasから入国した後、西海岸へと向かった。
西海岸沿いの都市、Mazatlan以降は再度内陸へと向かい、Zacatecas、Guadalajaraを訪れた。
Guadalajara以降、再度西海岸へと進む。
理由としては、カナダのホワイトホース付近で出会ったデイヴとルーシー夫妻が冬の期間は西海岸のPerulaで滞在するとのことで、そこで再会することを約束していたのだ。
西海岸沿いの都市、Mazatlan以降は再度内陸へと向かい、Zacatecas、Guadalajaraを訪れた。
Guadalajara以降、再度西海岸へと進む。
理由としては、カナダのホワイトホース付近で出会ったデイヴとルーシー夫妻が冬の期間は西海岸のPerulaで滞在するとのことで、そこで再会することを約束していたのだ。
メキシコの地図には日本の様に「○○号線」と名前が付けられているのに、街にある標識には「○○号線」の記載は一切ない。
ほとんどが「↑○○(町の名前)」と記載されているのだが、その町が小さい集落のようで、手持ちの地図には載っていない。
更にGuadalajaraは今まで訪れたメキシコの都市では一番大きく、郊外へ抜けるために何度も道を尋ねた。
Guadalajaraを抜けると、道は穏やかに下り始める。

Guadalajaraの標高が1600メートルで、目指す先が標高0メートルの西海岸沿いの集落のため当然なのだが、やはり下り坂での走行は気持ちが楽になる。

Guadalajaraの標高が1600メートルで、目指す先が標高0メートルの西海岸沿いの集落のため当然なのだが、やはり下り坂での走行は気持ちが楽になる。
50キロ程進んだVilla Coronaでいつも通りガソリンスタンドのPEMEXにテントを張らせてもらえないか頼んだが、町にある2軒共に断られてしまった。
PEMEXでテント泊を断られたのは初めてのことだったので、多少ショックを受けつつも仕方ないことなので、ホテルへと投宿した。

今思えば、この時から不運という暗雲が立ち込めていたのかもしれない・・・
PEMEXでテント泊を断られたのは初めてのことだったので、多少ショックを受けつつも仕方ないことなので、ホテルへと投宿した。

今思えば、この時から不運という暗雲が立ち込めていたのかもしれない・・・
12/14
ホテルのスタッフは皆親切でフレンドリーで、次々と一緒に写真を撮ることをせがまれた。
「友達に連絡したら彼女も写真を一緒に撮りたいから、9時まで待って!」と言われ、この日は出発が結局9時半となった。
ホテルのスタッフは皆親切でフレンドリーで、次々と一緒に写真を撮ることをせがまれた。
「友達に連絡したら彼女も写真を一緒に撮りたいから、9時まで待って!」と言われ、この日は出発が結局9時半となった。
Villa Coronaを抜けCoculaという集落に到着。
入り口には植え込みを丁寧に刈りこんだギターのオブジェがある。

Cocula以降は今までの下り坂から一変、峠越え且つ路肩ゼロの厳しい道程となった。
入り口には植え込みを丁寧に刈りこんだギターのオブジェがある。

Cocula以降は今までの下り坂から一変、峠越え且つ路肩ゼロの厳しい道程となった。
20キロ、時間にして2時間程峠を登り続けただろうか、山頂でタコス屋台を発見。
自転車を止め、財布を入れた鞄を机の上に置き、目の前のカウンターでタコスを注文。
いつの日もタコスは美味い。峠を登り切った後ということで尚更美味い。
3つのタコスを平らげた後、会計を済ませようと鞄を開けたが、財布が見つからない。
自転車を止め、財布を入れた鞄を机の上に置き、目の前のカウンターでタコスを注文。
いつの日もタコスは美味い。峠を登り切った後ということで尚更美味い。
3つのタコスを平らげた後、会計を済ませようと鞄を開けたが、財布が見つからない。
「はいはい、一緒に入れているカメラの下敷きになってるのね。」ない。
「うーん、鞄の内ポケットの中に潜り込んだか?」ない。
「・・・カメラバッグの中に潜り込んだか?」ない。
「・・・ズボンのポケットの中は!?」ない。
「・・・財布無いやん!」はい。
「うーん、鞄の内ポケットの中に潜り込んだか?」ない。
「・・・カメラバッグの中に潜り込んだか?」ない。
「・・・ズボンのポケットの中は!?」ない。
「・・・財布無いやん!」はい。
財布には現金600ペソ(1ペソ5.6円。約3300円)と、クレジットカードが一枚。
この日財布を入れた鞄を開けたのは2回のみ。
Villa Coronaを出て10キロ程で財布を忘れていないか確認した時と、Cocula入り口でオブジェを写真撮影した時のみ。
この屋台では確かに少し鞄を机に放置したが、注文カウンターからは視野に入っていたし、1メートルも離れていない。
客も自分以外に2組しかいない。盗難はちょっと考えにくい。
この日財布を入れた鞄を開けたのは2回のみ。
Villa Coronaを出て10キロ程で財布を忘れていないか確認した時と、Cocula入り口でオブジェを写真撮影した時のみ。
この屋台では確かに少し鞄を机に放置したが、注文カウンターからは視野に入っていたし、1メートルも離れていない。
客も自分以外に2組しかいない。盗難はちょっと考えにくい。
それよりも、USドル以外の現金全てを失ってしまった。ここのタコスの支払いができない・・・
しばらく頭を抱え込んで呆然としていると、屋台の従業員が察してくれたのか、
「料金はいらないよ。食べ物は足りている?よかったらタコスを作るから持って行きなよ。」と心配して言ってくれた。
しばらく頭を抱え込んで呆然としていると、屋台の従業員が察してくれたのか、
「料金はいらないよ。食べ物は足りている?よかったらタコスを作るから持って行きなよ。」と心配して言ってくれた。
恐らくCoculaで写真撮影した時に落としたに違いない。
Coculaまで20キロだが、下り坂のためすぐにたどり着けるだろう。
従業員の人には丁重にお礼と謝罪をし、お持ち帰りタコスは固辞して、来た道を財布が落ちていないか視線を落としながら戻る。
Coculaまで20キロだが、下り坂のためすぐにたどり着けるだろう。
従業員の人には丁重にお礼と謝罪をし、お持ち帰りタコスは固辞して、来た道を財布が落ちていないか視線を落としながら戻る。
Coculaに戻ったのは1時間後の13時。が、やはり財布はない。
「もしかしたら、もっと前に落としたのかも・・・」
そんな淡い期待を持ちつつ走るも、行けども行けども財布は見つからない。
「あかん、ほんまに無くした・・・」
「もしかしたら、もっと前に落としたのかも・・・」
そんな淡い期待を持ちつつ走るも、行けども行けども財布は見つからない。
「あかん、ほんまに無くした・・・」
意気消沈したままタラタラと走り、結局前日に泊まったVilla Coronaのホテルに辿り着いていた。
従業員は朝に送り出したはずの自転車旅行者が戻ってきたことに驚きつつ、「私写真を撮りそびれたから、一緒に撮って!」ときた。
それが逆におかしくって、少し落ち込んでいたが、彼等の笑顔に少し癒された。
まずは財布に入っていたクレジットカードを止めなければ・・・
ホテルのWIFIを使ってクレジットカード会社にSkype電話。すぐに停止してもらえた。
従業員は朝に送り出したはずの自転車旅行者が戻ってきたことに驚きつつ、「私写真を撮りそびれたから、一緒に撮って!」ときた。
それが逆におかしくって、少し落ち込んでいたが、彼等の笑顔に少し癒された。
まずは財布に入っていたクレジットカードを止めなければ・・・
ホテルのWIFIを使ってクレジットカード会社にSkype電話。すぐに停止してもらえた。
その電話内で、「もし紛失したカードが使われたら、その分は補償されるため警察に行ってポリスレポートをもらって下さい。」と言われた。
管轄はCoculaになるため、翌日に警察によるとして、この日はまた同じホテルに宿泊した。
幸いクレジットカードは複数持っているため痛手はないのだが、それでもやはり落ち込む。
傷心を慰めるため、Villa Coronaの街をぶらつく。



町はクリスマスの飾りつけがささやかながら施され、優しい空気が流れているように感じた。
管轄はCoculaになるため、翌日に警察によるとして、この日はまた同じホテルに宿泊した。
幸いクレジットカードは複数持っているため痛手はないのだが、それでもやはり落ち込む。
傷心を慰めるため、Villa Coronaの街をぶらつく。



町はクリスマスの飾りつけがささやかながら施され、優しい空気が流れているように感じた。
12/15
9時半にホテルを出発し、10時半Coculaの警察署に到着。
日本人で、かつ自転車旅行者など来ないはずなのでメキシコ人には物珍しいらしく、10人くらいに囲まれる。
その中で2人くらい英語で喋れる人がおり、丁寧に対応してくれた。
しかし、彼が言うに「メキシコID(
メキシコで発行された身分証明書)がないと、ポリスレポートが発行できない。」とのことだった。
ポリスレポートが警察で発行できないなど聞いたことがなく、「ではどこで発行されるのか?」と聞いたが、彼等もあまり詳しくない様子。
9時半にホテルを出発し、10時半Coculaの警察署に到着。
日本人で、かつ自転車旅行者など来ないはずなのでメキシコ人には物珍しいらしく、10人くらいに囲まれる。
その中で2人くらい英語で喋れる人がおり、丁寧に対応してくれた。
しかし、彼が言うに「メキシコID(
メキシコで発行された身分証明書)がないと、ポリスレポートが発行できない。」とのことだった。
ポリスレポートが警察で発行できないなど聞いたことがなく、「ではどこで発行されるのか?」と聞いたが、彼等もあまり詳しくない様子。
警察同士メキシコ語で何やら相談した後、どうやら日本領事館に電話で確認してくれることになったらしい。
受話器を受け取り、日本領事館の女性駐在員と話をした。
「メキシコでは、警察ではなくFiscaliaという施設で紛失証明が発行されるため、そちらに行くようにして下さい。」とのこと。
しかしFiscaliaと言われたも、それが何なのか分からないし、どこにあるかも分からない。
困っていると、また警察同士で相談し、一人がCoculaにあるFiscaliaまで連れて行ってくれることになった。
受話器を受け取り、日本領事館の女性駐在員と話をした。
「メキシコでは、警察ではなくFiscaliaという施設で紛失証明が発行されるため、そちらに行くようにして下さい。」とのこと。
しかしFiscaliaと言われたも、それが何なのか分からないし、どこにあるかも分からない。
困っていると、また警察同士で相談し、一人がCoculaにあるFiscaliaまで連れて行ってくれることになった。
ものの3分程でFiscaliaに到着。小さな平屋が事務所のようだ。
スタッフは2名で、英語が話せるフェルナンドという男性が対応してくれた。
Fiscaliaは直訳で「起訴」という意味で、どうやらFiscaliaは裁判や各種証明書発行を担う公的機関のようだ。
フェルナンド曰く、「レポートに弁護士のサインが必要になる。しかし現在30キロ離れた町にいるため、車でその町まで一緒に行ってあげよう」とのこと。
正直、あっさりと警察で発行されると思っていたため、このような大事になるとは思ってもみなかった。
スタッフは2名で、英語が話せるフェルナンドという男性が対応してくれた。
Fiscaliaは直訳で「起訴」という意味で、どうやらFiscaliaは裁判や各種証明書発行を担う公的機関のようだ。
フェルナンド曰く、「レポートに弁護士のサインが必要になる。しかし現在30キロ離れた町にいるため、車でその町まで一緒に行ってあげよう」とのこと。
正直、あっさりと警察で発行されると思っていたため、このような大事になるとは思ってもみなかった。
フェルナンドともう一人の男性スタッフはそれぞれアサルトライフルを車に積み込み、後部座席に乗せられて物々しい雰囲気の中、弁護士のいる街へと向かった。
1時間程走っただろうか、Coculaにはよりももう少し大きい街に到着、Fiscaliaへと連れて行ってもらう。

弁護士と対面し、フェルナンドに通訳してもらいながら、いつ、どこで、何を紛失したのかを細かく説明していく。
2時間程待った後、書類が目の前に出され、全てに僕と弁護士と、第三者証明としてフェルナンドのサインがなされた。
合計8枚に及ぶ超大作である。

弁護士と対面し、フェルナンドに通訳してもらいながら、いつ、どこで、何を紛失したのかを細かく説明していく。
2時間程待った後、書類が目の前に出され、全てに僕と弁護士と、第三者証明としてフェルナンドのサインがなされた。
合計8枚に及ぶ超大作である。
作成後は再度フェルナンド達に車でCoculaまで送ってもらった。
これが彼等の仕事なのかもしれないが、弁護士もフェルナンド達も丁寧に助けてくれ、またこれからの旅行も励ましてくれた。

彼等と握手を交わし、礼を述べ、事務所を後にした。
結局全て終わってCoculaに戻った時には夕方近くになったため、この日はCoculaのホテルで宿泊した。
これが彼等の仕事なのかもしれないが、弁護士もフェルナンド達も丁寧に助けてくれ、またこれからの旅行も励ましてくれた。

彼等と握手を交わし、礼を述べ、事務所を後にした。
結局全て終わってCoculaに戻った時には夕方近くになったため、この日はCoculaのホテルで宿泊した。
12/16~12/18
財布を落としたハプニングはあったが、気を取り直して自転車を進める。
Cocula以降の峠を再度越えた後も、いくつものアップダウンを乗り越える。


標高が下がってくるに従い、南国のイメージそのままの大きな実を付けた樹や、鮮やかな花が見られるようになってきた。
財布を落としたハプニングはあったが、気を取り直して自転車を進める。
Cocula以降の峠を再度越えた後も、いくつものアップダウンを乗り越える。


標高が下がってくるに従い、南国のイメージそのままの大きな実を付けた樹や、鮮やかな花が見られるようになってきた。
そして遂に、12月18日の夕方前にPerulaに到着。
デイヴとルーシーは変わらず元気で、カナダで別れてから約6か月振りの再会を喜び合った。

しばらくデイヴとルーシーの家でホームステイをさせて頂き、Perulaで正月明けまでゆっくりと羽を休ませてもらうことになった。
デイヴとルーシーは変わらず元気で、カナダで別れてから約6か月振りの再会を喜び合った。

しばらくデイヴとルーシーの家でホームステイをさせて頂き、Perulaで正月明けまでゆっくりと羽を休ませてもらうことになった。
いろんな事があるね。
スゴイ経験してるな。
いい出逢いが一杯やね。
daveとlucyによろしくね。
おー!出発まえの書き出し!
荷物多いなぁ~。って写真見ていつも思ってたけど…。凄いですね(*_*;あらためて見て思いますね(”;)でも3年?5年でしたっけ?長い旅ですもんね。
財布無くした時って大変だったんですね。でも屋台の人も警察の人も親切でしたね!
世界旅するのって英語大切ですね(”;)でもその国の言葉が話せるとやっぱり安心ですね。当たり前か(^^;
今日は大晦日…時差は半日くらいかな…。
こっちはあと六時間切りましたよ❗新年まで(^-^)店長が羨ましいですよー。あたしは31~3日まで仕事です(笑)
新年のブログも楽しみにしてます(^o^)v
何かの実は果物?コーヒー?
折り鶴折れたんやq(^-^q)
他にも出きる?
あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願い致します。
スポンサーになってほしいくらい、mont-bellに貢献してますね。自分でもびっくりしました。
荷物は持っていけるならどれだけでも積みたいのですが、鞄に入りきらないですね^^;
正直、テントはもっと小さい物を買えばよかったです。
英語は未だにほとんどできませんが、スペイン語よりはまだマシですので、英語が喋れる人がいると助かります。
お仕事頑張って下さい!僕は1月2日に再出発です。
何の果実かは不明。
鶴、手裏剣、飛行機くらいです。
いろいろ有りますね 出会いの人 皆さん親切ですね
サクラに似てる 花の写真 ホッとする サボテン デッカイ
そうですね、メキシコの花は特に綺麗な物が多いです。
僕は特に鮮やかな紫色の花が好きです。