メキシコでのドラッグ使用の実情&サカテカス到着

Mazatlan~Zacatecas
11/27~12/3 (191~197days)
11/27~12/3 (191~197days)
11/27
熱中症と思われる体調不良も、Mazatlanで数日休息を取ったおかげで大分ましになった。
ホワイトホースのDaveと再会を約束した町、Punta Puluraへは、Mazatlanからこのままカリフォルニア湾沿いを南下すればすぐだ。
しかし期日まで余裕があるため、内陸を進み、いくつかある世界遺産を巡ることにした。
しばらく15号線を走った後、内陸にある街、Durangoへ向かう40号線へと入る。
MazatlanからDurangoへ向かう道には2通りパターンがある。
一般道である40号線と、有料高速道路である40D号線だ。
MazatlanからDurangoへ向かう道には2通りパターンがある。
一般道である40号線と、有料高速道路である40D号線だ。
事前の下調べからは、以下のことは分かっていた。
40号線は一般道のため、途中に補給ポイントである集落が点在している。
しかし路肩はなく、山脈を曲がりくねって越えなければならない。
40D号線は路肩もあり、Durangoまで直線に近い道程を取っている。
しかし、道中かなりの数のトンネルがあるようだ。また、道中で補給ポイントはどうやらなさそうだ。
40号線は一般道のため、途中に補給ポイントである集落が点在している。
しかし路肩はなく、山脈を曲がりくねって越えなければならない。
40D号線は路肩もあり、Durangoまで直線に近い道程を取っている。
しかし、道中かなりの数のトンネルがあるようだ。また、道中で補給ポイントはどうやらなさそうだ。
一般道を通るとDurangoまで310キロ、高速道路では250キロ。60キロも差が出る。
標高はいずれにしても2800メートル近くまで登る必要がある。
海抜0メートルのMazatolanから2800メートル・・・厳しい道程となりそうだ。
以上の条件を踏まえて、僕は一般道を通ることにした。
40D号線全てに路肩があるか分からないし、トンネルなど尚更路肩がないだろうと予想したためだ。
標高はいずれにしても2800メートル近くまで登る必要がある。
海抜0メートルのMazatolanから2800メートル・・・厳しい道程となりそうだ。
以上の条件を踏まえて、僕は一般道を通ることにした。
40D号線全てに路肩があるか分からないし、トンネルなど尚更路肩がないだろうと予想したためだ。
40号線に入ってからしばらくはアップダウンを繰り返し、路肩もないが車通りも少なくストレスはない。
Concordiaという村で昼食にタコスを食べ、「まぁDurangoまで3日くらいで着くだろう」と甘い見通しを立てていた。
Concordiaという村で昼食にタコスを食べ、「まぁDurangoまで3日くらいで着くだろう」と甘い見通しを立てていた。
しかし、このConcordiaから道は曲がりくねり、上り坂もきつくなってきた。
さらに遠くには壁のような山が聳えて見える。
さらに遠くには壁のような山が聳えて見える。
結局この日は70キロ程走った先、標高530メートルのCopalaという村に到着し、路肩にある商店の家族にお願いし、店の側でテントを張らせてもらった。
11/28~11/30
5時起床。さすがに沿岸よりも標高が上がったためか、夜は冷え込んだ。テントも内部との気温差で湿気ている。
朝自転車を確認すると、リアキャリア(鞄を固定するための荷台)の根元が折れ掛かっている。
テンションも上がらないまま、この日はスタート。
5時起床。さすがに沿岸よりも標高が上がったためか、夜は冷え込んだ。テントも内部との気温差で湿気ている。
朝自転車を確認すると、リアキャリア(鞄を固定するための荷台)の根元が折れ掛かっている。
テンションも上がらないまま、この日はスタート。
Copalaからも坂道はぐんぐん登っていく。
車通りはなく、緑に覆われているためか気温も高くなく、気持ちがいい。


が、如何せん曲がりくねっており、しかも登ったと思ったら下り坂で落とされ、また登るという繰り返し。
時折高速道路が見えるのだが、あちらは緩やかな傾斜で標高が登っていく。

車通りはなく、緑に覆われているためか気温も高くなく、気持ちがいい。


が、如何せん曲がりくねっており、しかも登ったと思ったら下り坂で落とされ、また登るという繰り返し。
時折高速道路が見えるのだが、あちらは緩やかな傾斜で標高が登っていく。

少し走った先、Santa Luciaという集落を過ぎたところで、眼下に高速道路40Dが号線が見えた。
やはり広い路肩が存在している。
ちょうどトンネルがあり、中がを覗いて見ると広い路肩がトンネル内にも続いていた。
やはり広い路肩が存在している。
ちょうどトンネルがあり、中がを覗いて見ると広い路肩がトンネル内にも続いていた。
「路肩あるやんけ!」
ちょうど高速道路への入り口があり、入ることができる。
しかし、路肩がこのまま続く保証はどこにもない。
しばらく迷った後、やはり傾斜が緩いことと、距離が60キロも短いという誘惑に負ける形で高速道路を通ることにした。
しかし、路肩がこのまま続く保証はどこにもない。
しばらく迷った後、やはり傾斜が緩いことと、距離が60キロも短いという誘惑に負ける形で高速道路を通ることにした。
やはり路肩は広く、傾斜は緩やか。
それに加えて以外にも車通りが少ない。
それに加えて以外にも車通りが少ない。
「何や、デメリット全然ないやん!」
と、最初から高速道路を通ればよかった後悔と、楽ができるという安堵を覚えた。
と、最初から高速道路を通ればよかった後悔と、楽ができるという安堵を覚えた。
しかしそれも束の間。山脈の中に無理やり道路を通しているため、橋を通したり、支柱の上に道路を通している場所では路肩が一切なくなる。

それに釣られる形でトンネル内も路肩がない。
5キロから10キロ程だろうか。ミラーを頻繁に見ながら後ろから車が来ないかどうか、恐怖を感じながら走ることになった。

それに釣られる形でトンネル内も路肩がない。
5キロから10キロ程だろうか。ミラーを頻繁に見ながら後ろから車が来ないかどうか、恐怖を感じながら走ることになった。
しかし、路肩がないのはこの区間のみで、後は広い路肩がずっと続いていた。
心配していた補給ポイントも、道中にはタコスやゴルディタス露店があり、ご飯には困らなかった。


「内陸部は治安が悪い」と聞いていたが、内陸部でもメキシコ人は友好的で、水やジュースを分けてくれたりした。

寝床は集落がないため、高速道路の無人詰所の陰や、路肩にたまにある緊急停止スペースの陰で野宿をした。
標高は最大で2655メートルまで登り、気温もかなり下がってきた。

結局Durangoには4日後の11月30日の午前中に到着した。
心配していた補給ポイントも、道中にはタコスやゴルディタス露店があり、ご飯には困らなかった。


「内陸部は治安が悪い」と聞いていたが、内陸部でもメキシコ人は友好的で、水やジュースを分けてくれたりした。

寝床は集落がないため、高速道路の無人詰所の陰や、路肩にたまにある緊急停止スペースの陰で野宿をした。
標高は最大で2655メートルまで登り、気温もかなり下がってきた。

結局Durangoには4日後の11月30日の午前中に到着した。
Durangoからは内陸部を南下し、Zacatecasを目指す。
Durangoは大きい街なのだが特に用事もないため、そのまま先を進む。
Durangoは大きい街なのだが特に用事もないため、そのまま先を進む。
この日90キロ走ったところでNombre de Diosという集落に到着した。
時間は15時頃だったが、この先補給ポイントも無さそうなため、道沿いの商店で小休止していた。
すると通りすがりの女性が英語で話し掛けてくれ、「どこから来たの?」という流れから「今日はどこに泊まるの?」という話になった。
「テントを持っているから、この近くに安全なスペースがあれば張らせてもらいたい」と伝えると、女性は商店の親父さんに交渉してくれた。
「17時に商店を締めるから、それから商店の親父さんが泊まれる場所に連れて行ってくれる」ように手配してくれたのだ。
親父さんは綺麗な眼で、「すまんけど少し待ってくれ」という感じで優しく微笑んでくれた。
時間は15時頃だったが、この先補給ポイントも無さそうなため、道沿いの商店で小休止していた。
すると通りすがりの女性が英語で話し掛けてくれ、「どこから来たの?」という流れから「今日はどこに泊まるの?」という話になった。
「テントを持っているから、この近くに安全なスペースがあれば張らせてもらいたい」と伝えると、女性は商店の親父さんに交渉してくれた。
「17時に商店を締めるから、それから商店の親父さんが泊まれる場所に連れて行ってくれる」ように手配してくれたのだ。
親父さんは綺麗な眼で、「すまんけど少し待ってくれ」という感じで優しく微笑んでくれた。
17時になると親父は自宅から車を持ってきてくれ、自転車を載せてくれた。
その時荷台には、彼の3歳くらいであろう息子と、友人である中年男性が乗っていた。
中年男性はA(仮名)という名前で、英語がペラペラに話せた。
眼は力強く、
車は2キロ程先にある集落の繁華街で停まった。どうやら手違いで、「ホテルのある場所連れていく」ということになっていたようだ。
その時荷台には、彼の3歳くらいであろう息子と、友人である中年男性が乗っていた。
中年男性はA(仮名)という名前で、英語がペラペラに話せた。
眼は力強く、
車は2キロ程先にある集落の繁華街で停まった。どうやら手違いで、「ホテルのある場所連れていく」ということになっていたようだ。
するとAが、「何、テントを張れる場所を探してるって?俺の家に来い、いくらでもテントを張らせてやる。腹も減ってるか?飯も食わせてやる。」
と言ってくれたため、車は商店へと戻り、自転車を下して歩いてAの家へと向かった。
と言ってくれたため、車は商店へと戻り、自転車を下して歩いてAの家へと向かった。
物の2、3分でAの家に着いた。
が、家といえば聞こえは良いが、はっきりと廃墟になった人家で、電気もガスも通っていない。天井も一部崩れている。
灯りはロウソクという、壮絶な環境だった。
Aは普段は仕事でテキサスとメキシコを行ったり来たりしているらしい。
ここは仮の住まいのようだが、従妹の女性と暮らしている。
女性の方は英語が話せないが、笑顔を見せてくれる。
が、家といえば聞こえは良いが、はっきりと廃墟になった人家で、電気もガスも通っていない。天井も一部崩れている。
灯りはロウソクという、壮絶な環境だった。
Aは普段は仕事でテキサスとメキシコを行ったり来たりしているらしい。
ここは仮の住まいのようだが、従妹の女性と暮らしている。
女性の方は英語が話せないが、笑顔を見せてくれる。
ご飯にハンバーガーを作ってもらった後、Aはガラス製のパイプを取り出し、小さなカプセルをナイフでカットした。
中からは小さな粉が出てきた。一目で「あ、麻薬だろうな」とは気づいた。
粉をパイプに入れ、ライターで炙り、煙を吸い上げる。彼等はそれを回し飲みしている。
中からは小さな粉が出てきた。一目で「あ、麻薬だろうな」とは気づいた。
粉をパイプに入れ、ライターで炙り、煙を吸い上げる。彼等はそれを回し飲みしている。
何も言わずに眺めていると、
「これはウィード(麻薬)だ。日本では全てのドラッグは違法なのか?」とAが問いかけてきた。
「もちろん。全てのドラッグが禁止されている。メキシコでは合法なのか?」と僕。
「大麻は合法、けれどこのドラッグは違法。ただし、陸軍に対してのみ?違法’だ。」
「カルテルとマフィアがドラッグを流通させているが、警察にはそれを抑える力はない。彼等に対抗できるのは軍だ。だから警察はドラッグを使用、保持している人間が居ても見て見ぬ振りだ。」
「この集落は小さい集落だ。経済的にも豊かではない。子ども達は学校に6年行った後は何の教育も受けない。彼女もそうだ。」
「自然、娯楽といえばドラッグや酒になるのさ。」
「これはウィード(麻薬)だ。日本では全てのドラッグは違法なのか?」とAが問いかけてきた。
「もちろん。全てのドラッグが禁止されている。メキシコでは合法なのか?」と僕。
「大麻は合法、けれどこのドラッグは違法。ただし、陸軍に対してのみ?違法’だ。」
「カルテルとマフィアがドラッグを流通させているが、警察にはそれを抑える力はない。彼等に対抗できるのは軍だ。だから警察はドラッグを使用、保持している人間が居ても見て見ぬ振りだ。」
「この集落は小さい集落だ。経済的にも豊かではない。子ども達は学校に6年行った後は何の教育も受けない。彼女もそうだ。」
「自然、娯楽といえばドラッグや酒になるのさ。」
彼等の国での文化に対し、ただの旅行者である僕が何も言うことはない。
ただし、「こういうことがありましたよ。」ということだけは記しておきたい。
※念のために。もちろん僕は自分の信条に誓って麻薬など一切やりません。
ただし、「こういうことがありましたよ。」ということだけは記しておきたい。
※念のために。もちろん僕は自分の信条に誓って麻薬など一切やりません。
その後、彼は寝床になるスペースを作ってくれ、トイレットペーパーやロウソクの買い足しなど、いろんな準備をしてくれた。
正直言って家を離れることも考えたが、彼の親切心は偽らざる物と信じ、テントの中にベアスプレーを準備してこの日は眠りに就いた。
正直言って家を離れることも考えたが、彼の親切心は偽らざる物と信じ、テントの中にベアスプレーを準備してこの日は眠りに就いた。
12/1
6時起床。結局無事何も起こらず夜は明けた。
Aに礼を言い、7時に集落を離れた。
6時起床。結局無事何も起こらず夜は明けた。
Aに礼を言い、7時に集落を離れた。
ここからはアップダウンの繰り返し。風は向かい風。
80キロ走ったところ、Sombrereteという街に到着。

Sombrereteはメキシコ政府観光局により、「魔法の様に魅惑的な場所、プエブロ・マヒコ」として選出されている。
街の中心部は石畳で構成されており、かなりの古都であることが伺える。

市街地には巨大な教会が点在しており、建物の色も色とりどりだ。
80キロ走ったところ、Sombrereteという街に到着。

Sombrereteはメキシコ政府観光局により、「魔法の様に魅惑的な場所、プエブロ・マヒコ」として選出されている。
街の中心部は石畳で構成されており、かなりの古都であることが伺える。

市街地には巨大な教会が点在しており、建物の色も色とりどりだ。
沿岸部のどの街とも趣が全く異なっており、どことなく自分が思い描くイスラム世界のような雰囲気が漂っている。
この日はSombrereteで350ペソ(約1925円)のホテルに泊まり、休息を取った。
この日はSombrereteで350ペソ(約1925円)のホテルに泊まり、休息を取った。
12/2~12/3
SombrereteからZacatecasまでは170キロ程。
道はアップダウンの繰り返しで、Zacatecasに近づくに連れて路肩は狭くなる。
Zacatecas市街に入ると幹線道路になるのだが、車通りは非常に多く、恐怖を感じる。
更に、下調べをしていた安宿への道を迷ってしまった。

取り合えず中心部に向かうが、全く分からない。
通りすがりの人に「この通り分かる?」と聞き、教えてもらってもスペイン語が分からないため、ニュアンスであっちだろうと思われる方に進むことを繰り返す。
何人目かのおじさんに訪ねると、おじさんはホテルまで親切にも連れて行ってくれた。
SombrereteからZacatecasまでは170キロ程。
道はアップダウンの繰り返しで、Zacatecasに近づくに連れて路肩は狭くなる。
Zacatecas市街に入ると幹線道路になるのだが、車通りは非常に多く、恐怖を感じる。
更に、下調べをしていた安宿への道を迷ってしまった。

取り合えず中心部に向かうが、全く分からない。
通りすがりの人に「この通り分かる?」と聞き、教えてもらってもスペイン語が分からないため、ニュアンスであっちだろうと思われる方に進むことを繰り返す。
何人目かのおじさんに訪ねると、おじさんはホテルまで親切にも連れて行ってくれた。
読んでてドキドキや!
うーん…。
娯楽が麻薬とお酒とは…
なんとも言えないですよね。ちょっと怖いと言うか。とにかく何もなく一夜過ごせて良かったですね(”;)でも人柄は良いんですね!読んでて少しホッとしました。
心配おかけして申し訳ないです
内陸部は治安が悪い、とは聞いてはいました。
「そんなことないじゃないか」と思っていた矢先だったので、メキシコの実態を垣間見た夜でした。
人柄は非常にいい人です!商店の親父さんの優しい顔と、彼の息子の純朴さを見て「彼等の友人なら悪い人ではない」と判断し、泊めてもらいました。