太平洋沿いの都市マサトランとメキシコ人の心の広さ

Hermosillo~Mazatlan
11/13~11/25 (177~189days)
Hermosillo以降も、ハイウェイに路肩はなくいつ車に轢かれてもおかしくないような中、自転車を走らせる。
道は二車線になったり一車線になったり・・・
余りにも怖くて、時には工事中の道路へ自転車を乗り入れて走った。
更には標高もどんどんと高くなり、心が折れそうになることもある。
くたくたになるまで自転車を走らせる毎日。
正直言って、風景は全く面白くもなんともない。
ご飯はほとんどがインスタントラーメンの自炊なのだが、たまに食べるレストランや屋台のご飯が美味しく、それだけが楽しみになっていた。
メキシコに入国して数日が経った後も、僕の心の中には「メキシコは危険だ。だからメキシコ人は危険だ。」という先入観が残っていた。
そんな先入観のため、面白そうな街や土産屋、お店があっても入ることもなく、素通りしてしまった。
ただただ自転車を走らせるだけ・・・旅行でも何でもなく、ただのサイクリング。
それでも自転車で走っていると、色々な出会いがある。
レストランに入ると、陽気に話しかけてくれ、一緒になってメキシコ走行のルートを考えてくれたご主人。
「おい!どこまで行くの?アラスカからアルゼンチンまで!?」
「じゃあ力付けないといけないだろう、食っていけ!」
と、辛みの利いたチリソースの掛かったフルーツ盛り合わせをくれた、屋台のおじさん。
「一晩だけ、隣でテントを張らせてもらえませんか?」と尋ねると、「安全だし、マットもあるから中に入れ!」と部屋を貸してくれた交番の警察官。
少し大きい街、Los Mochisでは僕は体調を崩した。
熱も出て、下痢もあったので、熱中症か、何かが当たったのだろう。
フラフラになりながらスーパーマーケットの総菜コーナーで、晩ご飯を物色していた。
きっとアジア人の若者を見かけるのが珍しいのだろう、一人のメキシコ人の婦人が声を掛けて来た。
スペイン語は簡単な単語しか分からないため、「自転車で旅行をしているが、お腹と頭が痛くて、ホテルで泊まっている」とボディジェスチャーを交えて何とか婦人に伝える。
すると婦人は、惣菜コーナーの店員と相談し、胃腸にあまり負担を掛けない様な物を選んでくれた。
更に婦人は、支払いもしてくれ、車でホテルまで送ってくれた。
お金は頑として受け取らなかった。
僕は「Graciaus。(ありがとう)」としか感謝の言葉を言うことができない。ただただ、「Graciaus。」を繰り返した。
こうした出会いがある度に、僕は心の中の「メキシコは危険だ」という先入観が、まるで氷のようにスーッと溶けていくように感じた。
嘘の様な話だけれども、急に体の下の方からスーッと温かくなって、最後には涙が出そうになるのだ。
Los Mochis以降は、二車線の道路で路肩も広くなり、風景も田園風景が広がる和なものとなった。
11/23、Mazatlanに到着。
Mazatlanはビーチリゾートの街でホテル料金も高く、あまり滞在するつもりはなかった。
しかしながら、またも体調を崩してしまった。恐らく極度の疲労と、熱中症がぶり返したのだろう。
丸二日間、ホテルのベッドで全く動けずに眠っていた。
11/25、ようやく体から倦怠感が引いたため、少し外に出てみた。
砂浜を見たのは本当に久しぶりのことで、恐らく日本以来のことだろうか。
安直な表現だけれども、何だかとても癒された気持ちになった。
体調は何とか持ち直してきた所で、次なる目的地DurangoとMazatlanの標高差は2800メートル。
また厳しい道程となりそうだ。
涙が出たよ。
疲れがたまったんかな?
お風呂につかれたら疲労が取れるのにね。
内陸に入って行くんやな。
ドゥランゴからは、グアダラハラに
向かうのかな?
振り返しちゃってたんですか(*_*;心も体もかなり緊張してたんでしょうね。
でも、また良い出会いありましたね!挫けそうになっても頑張れそうですね(^-^)
お土産屋さんとかの話も聞きたいけど中々入るのも勇気いりそうですね(”;)なんか緑のある写真は日本みたい。本場のトルティーヤ美味しそう!
日本にいる自転車旅行者を見たらよろしくしてあげてください
Durango→Zacatecas→Guadalajaraのルートです
特に急ぐ必要もなかったのですが、回復したと思って普段漕がないような距離を走ったからでしょうね・・・
すみません、トルティーヤ=生地というのを最近知りましたので、トルティーヤは料理名ではありません!タコスでした!