Whitehorse~Carmack ユーコン川下り 26日目~32日目(6月15日~6月21日)

6月15日、川下り1日目。
慣れないパドル操作のため、カヤックは左に右にいやんいやんと頭を振る。
それでもユーコン川の流れは速いため、前には勝手にどんどんと進んで行く。
ホワイトホースを出発した時間が12時頃。
少し遅めの昼食として、15時頃にインスタントラーメンに肉缶詰を入れて食べる。
まだこの辺りには民家が辛うじてあるらしく、水上飛行機が止まっている。
飯を食い終わると同時に、ざっと勢いよくにわか雨が降ってくる。
「やばい、急いで荷物を詰め直さないと!」
カヤックの荷物収納場所は船首と船尾にそれぞれ1つずつあるのだが、入り口が非常に狭く、荷物の出し入れが難しい。
僕は食料を一番奥に入れていたので、その他の荷物も外に出しており、漏れなくすべての荷物が初日にしてびしょ濡れとなった。
そして荷物を入れ終わった直後に雨は止み、再びカヤックを漕ぎだした時には青空が広がっていた。
それだけ川の天気は変わりやすい。
17時頃、この日宿泊予定のキャンプ場に着く。ラバージ湖の入り口手前のキャンプ場だ。
キャンプ場といっても、小さい浜辺に熊が出そうな程深い草むらがあるのみ。
この時描いていたプランとしては、2日をかけて湖を越え、残りの日程はゆっくりと川の流れに身を任せて8日目の朝、ゴールに辿り着く予定だった。
これが噂のウィッチーズ・ヘアー(魔女の髪の毛)
めちゃくちゃよく燃える。
流木を集め、ガソリンをぶっかけて焚き火を起こし、夕食を作る。
白米一合、ソーセージ1本、牛肉と野菜炒め。
いただきます!をするとほぼ同時に上流からカヌー2隻がキャンプ場に近づいてきた。どうやら上陸するらしい。
「ハロー!」「ハロー!」「ハロー!」
僕ら3人はお互いに挨拶と、簡単に自己紹介をした。
日本人のマサさんと、フランス人のオトワン(僕らはオットーと呼んでいた。)
なんと彼らも今日が川下り初日で、スタート地点でたまたま出会い、急きょペアを組んだ2人らしい。
彼らは僕よりもさらに奥、ドーソンシティまで2週間かけて下る予定だ。
「カーマックスまでだけど、一緒にいこうよ!」という誘いを、僕は当然2つ返事で受けた。
ビジターセンターで3日間待って誰も反応がなかったのに、まさか初日で、しかも全員が初対面なんて・・・面白いものだ。
彼らは熊対策として、夕食を食べる場所とキャンプ地は明確に分けるつもりだったらしい。
僕は同一場所で大丈夫だと思っていたが、万全を期すのに文句はない。
彼らに同意し、彼らと一緒にここで夕食を食べた。
次のキャンプ場は、ラバージ湖に入った少し先にあるらしいので、そこを目指すことにした。
20時頃に夕食を終え、キャンプ場に向かった。
非常に穏やかな流れで、浅瀬でカヌーが進まなくなって3人でゲラゲラ笑ったりしていた。
しかし、ラバージ湖に入ると状況は一変した。湖のために流れはなく、風が吹き荒れている。波もかなり立っている。
3人とも口数は減り、黙々とパドルを漕ぐ。
状況はどんどん悪くなり、白波が立ち始めた。僕は「白波が立つと転覆の恐れが高まる」と聞いていたので、怖いと思いながらもズルズルと進んでいた。
が、程なくしてマサさんが一人、岸辺にカヌーを着岸させ、「今日はここでテントを張ろう」と言った。
カヌーはカヤック以上に風と波の影響を受ける。マサさんも相当危険を感じたらしい。
全員が同意し、本日はキャンプ場から10km手前の地点で宿泊した。
【この日の漕行距離: 40km】
6月16日、川下り2日目。
7時半起床。この日は打って変わって快晴、無風、波無し。最高のコンディションだ。
しかし油断は禁物。ラバージ湖は正午から夕方にかけて風が強く吹くらしい。
8時に2人を起こして朝食。
ベーグルにサラミとモッツアレラチーズを乗せる。これは美味い!保存も利くし、安い。
9時出発。波がないため、順調に進む。カヤックの操作にも慣れてきた。
完全に無風状態のため、湖では漕がなければ進むことはない。
黙々とパドルを漕ぐ。
12時になり昼食。インスタントラーメンに肉缶詰。オットーはイタリアンサラダの缶詰。
マサさんはインスタントラーメンにパスタを入れて嵩増し。 あまりにもひもじそうなので、肉をシェアしてあげる。
ラバージ湖では漕ぐことしかないので、いろいろ話を聞いてみた。
オットーはなんと20歳!30歳くらいと思っていた。
彼はエンジニアの学校に通う学生で、4か月間の休み中なのでカヌー以降もカナダを旅行するらしい。
また、学生であると同時にフランスはグラスゴーのモトクロス大会前年度チャンピオンだと言う。
「6か月前に試合の事故で背骨、肋骨4本、鎖骨を折っちまったぜ、HAHAHA!」
マサさんは27歳で僕と同い年。
研修医をしており、2年目が終わり区切りがついたので、今年の4月から1年間旅行をすることにしたらしい。
カヌーが終わった後は自転車を購入し、南米まで下るという。
ちなみに最初の2か月間はカナダで語学留学していたため、マサさんは英語がペラペラだ。
旅が終わった後は、小児科を専門として医者としての生活をスタートさせる。
どうやらかなり異色な人たちとペアを組んだようだ。
17時に夕食のためストップ。
米1合に牛ステーキ、牛肉炒め、ウィンナー。最高。
オットーが僕の食う姿を見て「モンスター・・・」と呟く。
マサさんはパスタとウィンナーのみ、オットーは肉無しリゾットのみ。僕からすれば君らの方がモンスターだぞ、オットー君。
夕食後、21時半頃まで漕いでこの日は終わり。
30km程漕いだはずだが、ラバージ湖の出口すらまだ見えていない。
【この日の漕行距離:30km】
6月17日、川下り3日目。
9時出発。この日は追い風で波がある。
出発してしばらくすると、湖の左側にだけ雨雲が発生し、雨が降っているのが目視できた。
僕らのいる右側は快晴。 と思っていたら、今度は僕らのいる右側に雲が移動してきて雨になった。
風もあるので11時頃、少し早めに昼食休憩とする。
12時頃に再出発。
水温は冷たく、もし万が一カヤックが転覆した場合、30~40分後には確実に死ぬらしい。
手を突っ込んでみたら、手がジーンと痺れてきて2分が限界だった。
13時頃になり、「前の方、行き止まりになってない?」と僕らは気付く。
出口が近いのでは!と色めき立つ我々。
そして14時ごろ。ラバージ湖の終着点のキャンプ場に到着!
喜びの叫びとハイタッチを交わす僕ら。
このキャンプ場には、昔ゴールドラッシュの時代、1900年代前半に使われていた家や車がそのまま放置されて残っている。
14時半頃にキャンプ場を出発する。
ここからはまた川に戻るため、流れがある。
「何もしなくても勝手に流れていくぞ!」と僕らのテンションは上がりっぱなし。
風景も、湖と違って森や渓谷がカヤックと近く、見ていて飽きない。
流れは緩やかだが力強く、カヤックやカヌーは何もしなければコントロールを失い、簡単に回転して後ろ向き、横向きと気ままに流れていく。
僕は昔よく作って遊んだ竹笹の舟になったような気がした。
17時頃に中州に良いキャンプ場を見つける。
僕はここで夕食を取って早めに休むことを主張したが、オットーは先へ進みたいという。
僕はラバージ湖を過ぎたら、後はパドルなんか漕がずに流れながらハーモニカとウクレレを楽しみ、17時には飯、19時にはテントを張ってゆっくりする計画だった。
しかし、オットーはもっと1日の距離を伸ばし、できるだけ距離を稼ぎたいと主張した。
もっとも、マサさんとオットーは僕よりも倍の日数と距離を、カヌーで漕がなければならないが、それを踏まえても僕にはオーバーペースに感じた。
僕はもっとゆっくり行くべきだ、と主張していたが、この日は彼の意見を尊重し、次のキャンプ場へ向かった。
結局、18時頃に夕食をとるために着岸。しかし雨が降る可能性が高かったので、この日は簡単にソーセージと豆の缶詰、インスタントラーメンのみ。 雨は降らなかったが、物足りない。
そしてこの日は結局、24時まで川を下った。
僕は内心、「このペースで何が楽しいんだバカヤロウ!」と叫んだ。
【この日の漕行距離: 65km】
6月18日、4日目。
7時起床。 朝から一人、牛肉のステーキを焼いて鬱憤を晴らす。さらにサラミバーガーも食い、昨日のことは水に流す。
このキャンプ場にも小屋が残っており、ムースの角が残っていた。
このキャンプ場のすぐ横で、テスリン川と合流している。
テスリン川の方が少し濁った色のようで、櫛田さんも合流以降は水はあまりきれいではないと仰っていた。
そしてこの合流地点のすぐ先に、水曜どうでしょうでお馴染み、SHIP YARD(シップヤード)がある。
ゴールドラッシュの時期に活躍した、蒸気船の残骸が丸々残っているのだ。
当然僕らも楽しみにしており、見逃すわけにはいかないと意気込んで出発した。
地図では右側に書かれていたため、右側の森を見ながら進むも上陸できそうな岸辺がない。
「ナオ、本当にここらへんかい?」とオットーが左にいる僕に顔を向けて声を掛けた瞬間、「おい!島の中に船があるぞ!」とオットー。
僕も左を見ると、中州の島の中にどでかい船が見えている!
「しまった!中州にあったのか!」 と僕らは必死に中州を目指すも、二つの川が合流した水の流れは凄まじく、僕らは無力にも下流に流されるしかできなかった。
「くそー・・・まぁ、見れただけましだよなぁ」とお互いを慰めあいながら先を進む。
流れが強く、鼻くそをほじっていれば勝手に流れていくので、必死こいてパドルを漕ぐのもバカらしい。
僕はハーモニカとウクレレを取り出し、好き勝手に鳴らす。飽きたらボールペンで風景のスケッチをする。
マサさんも僕の後ろの方で、持ってきていたオカリナと楽譜で、へったくそなオカリナ演奏をしている。
オットーは遥か彼方先の遠くにいる。
そしてスケッチにも飽きてただぼーっと漂っていると、ただただ静寂な時間が流れる。
カナダ全域の地図にも載っているような巨大なユーコン川に、自分がのんびり流れていると考えると、表現はできないが何だか変な感覚を覚える。
しばらくすると、木が真っ黒になり、森林全てが消失した風景が目に飛び込んできた。
地図を見ると、1977 Burn と書かれている。1977年の山火事で燃えてしまったらしい。
もう40年の時間が経過しているのに、一度消失した森林は再生されていないのか・・・
この日は18時にキャンプ場に着く。
飯は米一合、牛ステーキ、野菜とソーセージのスープ。
飯の後は19時45分にキャンプ場を出発。
21時15分に宿泊キャンプ場に到着。
もう限界だ!
オットーに、「俺はこのペースが続くなら、パーティを抜ける」と告げ、眠りに就く。
マサさんもこのペースに疲れているはずなのに、彼は不満をほとんど言わない。彼は大人だ。
【この日の漕行距離:71km】
6月19日、5日目。 8時20分起床。
疲れが溜まっているのか目覚ましに全く気が付かなかった。
連日のハイペースのため、朝から腹が減ってしょうがない。
ひたすらにクッキーとポテチを貪り食う。
そしてこの日はカンカン照りで、非常に暑かった。
13時半頃に昼食休憩を取る。非常にキレイなキャンプ場だ。
昼食後はこの暑さなら大丈夫だろ!ということでマサさんと順番にユーコン川で沐浴。
暑いので意外と気持ちいい。 約2週間ぶりに自分の上半身を見た。シャワーも浴びていなければ肌着も変えていなかったのだ。
が、やはり2~3分が限界と言ったところ。焚き火で暖を取る。
昼食後はただただ流れるのみ。腹が減れば飯を食う。
このスローペースこそが、本来のユーコン川下りの醍醐味だろう。
僕はやはりオーバーペース気味の状況に疑問を持っていたので、オットーと再度話をする。
「俺は君らと一緒にカーマックスまで行きたい。でも、もっとゆっくりと川下りも楽しみたい。これは誰かが悪いんじゃなくて、ペースの違いだからしょうがない。」
「僕らは7日目の朝にカーマックスに到着する。これは動かない。そしてもちろん一緒に来てくれるなら嬉しい。」
彼らはドーソンシティまで更に10日かけて下る。僕は3日でゴールだ。
天気がいつ崩れるかも分からない。
オットーも無暗にオーバーペースを続けているわけではなく、そういう理由があってのことだし、彼ももちろん疲れている。
僕だけが我儘を言っている気がして恥ずかしくなった。
話し合いの結果、僕はマサさんとオットーと、カーマックスまで一緒に下ることにした。
ペースはさておき、僕はナイスガイなこの日本人とフランス人がこの5日間で好きになっていた。
マサさんにも、オットーに対してこれ以上不満は言わないことを誓った。
夕食は米一合、牛ステーキ、ソーセージ、牛肉炒め。
「私たち、ユーコン川は何度も下ってるわ。夕食後はいつもハンモックでのんびりするの!」
というホワイトホース在住のご夫婦。
夕食後、この日も川を下り続ける。
予定していたキャンプ場を見落とし、先に進まざるを得なくなる。この時点で21時。
疲弊しつつ下り続けるも、幸運なことに30分後に地図に載っていない良いキャンプ場を見つける。
テントを張り、焚き火を囲んでマサさんと色んな話をする。
家族、旅のテーマ、仕事・・・ビーフジャーキーとチーズをツマミに語り続ける。
気付けば3時。空は白み始め、夜明けになっていた。ユーコンの夜明けは早い。
【この日の漕行距離:58km】
12時頃に、2日目に出会ったドイツ人夫婦に出会う。
明日はサッカーのドイツ対アイルランドかどこかの国際試合らしい。
他愛もない話だが、1週間も完全に情報からシャットアウトされていることを実感する。
彼らに自転車旅行をしていることを告げると、ドイツに来た時にはぜひ家に来てくれ!と住所を教えてもらう。
15時頃に遅めの昼食を取る。ソーセージと焼きそば。
前日の夜更かしが祟って眠たくて、カヤックの上でずっと寝ていた。
時々、後ろの方からマサさんの吹くオカリナの音色が聞こえてくる。
お世辞にも上手いとは言えないマサさんのオカリナも、僕らを四方から囲んでいる山や森に深く長く響き、また川を流れている僕らに向けて心地よいメロディーとなって返ってくる。
そして、つかの間の演奏会が終わると、無音としか表現できない空間に戻る。
ここら辺からハイウェイが川からも見え、人間の世界に近づいて来たと実感する。
18時頃に夕食を取る。
この日が最後の晩餐となるので、余すことなくすべての食材を使い切る。
※この日撮影の牛肉。常に常温保存していた。
牛肉の塩漬けは結局1週間持ったことになる。
僕が身をもって証明したので、後続される方はぜひ参考にしてください。
①肉のブロックをジップロックに入れ、グラム数の5%の塩を加えて揉んで一日安置。
② 翌日は水が溜まっているので、肉を取り出してキッチンペーパーにくるんで新しいジップロックに2重で入れる。
③ 使うときは、欲しい分だけをナイフで切り落とす。
④毎日キッチンペーパーを交換すること。
豆知識として、ペットボトルの蓋は世界的に規格が決まっている(はず)。
蓋2杯分で大さじ1杯と同じ。大さじ1杯で塩は18g。
僕は1㎏のブロック肉を購入したので、1杯9g×6回の54g投入した。
簡単で、かつ美味しく肉が食えるのでお勧めです。
この日の宿はカーマックスから5km離れたキャンプ場に21時に到着。
ここは大型野生動物の糞が大量に落ちていて怖かった。3人で固まってテントを立ててすぐに就寝。
【この日の漕行距離:30km】
6月21日、7日目。
8時20分起床。最後のベーグルサンド。
9時に出発。少し漕ぐと電線が見える。
川下りの夢から覚めろと言わんばかりに、工事車両もすぐ近くでけたたましい音を上げて作業している。
マサさんは一週間しか経ってないのが信じられないと言っていた。
僕は一週間経ったのが信じられなかった。 こうした感覚の違いは面白い。
そして10時にゴール地点のカーマインキャンプ場に到着!
マサさんとオットーとはここでお別れ。彼らはカーマックスで食料を買い足し、更に一週間川を下る。
僕はこのキャンプ場でカヤックを置いて、何らかの方法でホワイトホースへ帰らなければならない。
「気を付けてな!」
連絡先を交換し、固い握手と少ない挨拶で彼らと別れる。
何となく、また会えるかもしれないな、という気がした。
さて、ここからは荷物を鞄に詰め、帰る方法を見つけなければならない。
バスは$70と聞いていた。正直高い。
僕はヒッチハイクに挑戦することを、川下り中から考えていた。
ヒッチハイクはやったことがないので一切想像できない。
僕はガソリンスタンドで休憩中の運転手に片っ端から声を掛け、頼み込むことにした。
めちゃくちゃ重い。寝袋、テント、火器、着替えその他もろもろが入っているから当然だ。
キャンプ場からガソリンスタンドのある町まで3km。これはしんどい。
キャンプ場を出て、歩き始めようとしたところ、一台目の車が見えた。
とりあえず親指立ててみるか、と試したところ、なんと目の前で車が止まったではないか。
「何、どこまで行くの?」
「ホワイトホースなんだけど・・・」
「俺ホワイトホースに住んでるから、乗んな」
「ワオ!アメージング!」
なんと一台目でヒッチハイク成功。キャンプ場を出て10m程の距離だ。
正直疲れていて、車の中ではほとんど眠ってしまった。2時間でホワイトホースに着いた。
ついさっきまで一週間を掛けて下ってきた道を、たった2時間。不思議な気分だ。
櫛田さんに無事帰ってきたことを報告し、こうして僕の川下りは幕を閉じた。
しばらくはここホワイトホースで滞在し、体と自転車をリフレッシュさせてから自転車の旅を再開させるつもりです。
スマイルでご一緒させていただいた瀧埜です。
初コメントです。
凄い体験されてますね〜
次の記事も楽しみにしてますね。
コメントありがとうございます!
ユーコン川は非常に静かで、一切の文明から遮断されるので大変気持ちがよかったです。
当ブログを今後ともよろしくお願いします。
ちょっとバタついていて、今頃見ました!
去年の姿からは想像出来ないほどたくましくなってますね…身心ともに(笑)
景色がとにかく凄いの一言。ゴールドラッシュの時の家とか、ジェイソン出そうですね…。月が映った川?あれ最高です☆なんとか無事に旅してるみたいだし。ハーモニカ、ウクレレ、オカリナ。セッション聞いてみたかったです(笑)
この後はどうしてますか?
凄い。ランボーを彷彿させる、冒険ですね。
肉の保存方法も中々です。まぁ冷蔵庫があるので利用しませんが・・・いつか使うかも。
それにしてもユーコン川雄大ですね。
楽しく拝見しました。
ウクレレは実はこの後壊れてしまい、日本に送付予定予です・・・
無事にワトソンレイクにいるので心配なく。
ユーコン川は非常にキレイで穏やかでした。
もし自分に子どもができたら連れてきたいと思います。
景色が雄大です!私もここに行きたいです!お肉の多い食事ですね(笑)
まさに雄大という一言の場所でした。
自転車で行く場合はかなり険しい道のりになると思われるので、車でいけてラッキーでした。
自転車旅行で何が楽しいって、一日終わりの飯の時間ですからね!笑